<「叱(しか)る」と「怒(おこ)る」>

子どもたちとの生活の中では、身体や命の危険を予感させる行為・事態に出会ったり、約束をやぶってしまったり、などということの多い中、つい厳しい口調で子どもたちを叱ったり怒ったりしてしまう・しなければならないことも多くあるかと思います。あわただしい生活の中では、ついカッと感情的に怒ってしまうことも、保護者・保育者ならば少なからず経験することがあると思います。

子どもの心の発育にとって望ましい「叱り方」を考えてみましょう。

〈叱り方の注意点〉

これまでも、さまざまな教育専門家が、叱り方についてオーソドックスな見解を表明しています。整理すると、以下の4点ほどにまとめられるようです。

①「叱り方は、まず簡潔直截(ちょくせつ)であることが必要である。長ったらしいお説教は、幼児が何のために叱られているかを忘れ、やや年長の児童になると聞きあきて、ただ聞き流して無視するという結果になってしまう。長談義はやめるべきで、いわゆるピリッとした、簡潔で、最小限度の叱り方であるべきである。」(『家庭教育』山下俊郎著・光生館・1965・118頁) 要点のみをスパッと言って、すぐに普段の平穏な日常に戻ることが大切なのでしょうね。私も児童・生徒時代に、ある先生がガツンと怒ったが、言いたいことだけ言って、スパッと切り替えて平生(へいぜい)の調子で授業をされて、けじめのある気持ちいい姿勢だな、と思った経験があります。

②「また、叱るということは、おどかしであってはならない。ゆうれいが出る、おばけが出るといって、おどかしをもって子どもを操縦するやり方が、わたくしたちの身のまわりに見られた前近代的なしつけ方であった。これは反省さるべきことである。」(前掲書)

「「そんなことをする子はもう知らない」とか「もう家(うち)の子じゃない」など、見捨てられるなどの不安を強める叱り文句をつかってはならない。」(岐阜新聞1989年7月17日・立正大学短期大学部教授・野田幸江)

③子どもの人格全体を否定するのではなく、間違った行動を改めさせるように導く必要があります。「あんたは何をやってもうまくできないねえ。」などとついつい言ってしまいがちですが、これでは子どものプライドも傷つけてしまいます。「子どもにも子どもの言い分がある。是非をはっきりさせるためだけに子どもの言い分を聞くのではなく、子どもには言い分を聞いてもらえたという満足感を与え、親の言い分も素直に聞ける心のゆとりをもたらすはずだ。」(前掲野田幸江論稿)

④「この子どもの、今の行動をしかっていいかどうかは、その子どもの日常生活にもっとも近く、その子どもの記憶と判断とを知っている親が即興的に決定すべきことである。それは直観と決断とを必要とする点で芸術に似ている。人間の生きる知恵というのは、日々の生活の不確定の中で決断をくりかえしていくことにある。」(『幼年期・家庭の教育2』岩波書店・松田道雄・1966・237頁) 極めて多様な人間性・人間関係の中での日々変容する人間の関りには、絶対的・客観的な基準・処方箋(しょほうせん)はなく、互いの気持ち・主観を謙虚にふりかえる中で瞬時瞬時に決断していかなければならないものなのですね。

 

子ども教育における「叱り方」の問題には、密接にかかわる「褒め方」の問題と並行して考える必要があると思われます。次回で考えてみましょう。