迷信:「赤ちゃん言葉」を使っていると普通に話せるようになるのが遅くなる

赤ちゃん言葉というのは、日本でもアメリカでもその他の国でもよくあることのようです。どんな赤ちゃんも、肌がきれいで身体・手足もとっても小さくて可愛らしいもので思わず触りたくなってしまう魅力がありますよね。そんな赤ちゃん・乳児に話しかけるときは、赤ちゃんに寄り添いたくなる大人の心理から、赤ちゃん言葉が自然に出てしまうものでもあると思います。

しかし、こんな大人の自然な心理に反して、赤ちゃん言葉を子どもの言語発達の妨げになる、と批判する人も少なからずいるようです。

けれども前掲書では、最近の研究から、「乳児は、赤ちゃんが話す言葉を好んで聞くということを明らかにしています。」「乳児が赤ちゃん言葉を聞くと、より注意を払ったり、嬉しそうな顔をしたりすることで、大人の赤ちゃん言葉の使用を強化している可能性があります。つまり、赤ちゃん自身が大人にもっと赤ちゃん言葉を使うように促しているのです。」「赤ちゃん言葉が好まれるのは、嬉しい感情を表現したいからだとする研究もあります。」と述べています。(同書100ページ) 冒頭に述べたように、赤ちゃんに出会った大人の嬉しい感情の現れには、悪い影響はないようです。

私たち幼児教育にたずさわる者は、幼児にお話をするときには、基本的にはその場にいる一番年少児の言語理解能力に合わせて話すように心がけます。これは子どもにまごころを伝えたいときにとる当然・自然の「子どもに寄り添う」姿勢です。けれどもそんな中でも、大人のことばが部分的に出てきますし、そんな話を何度も聞くうちに、自然と大人のことばを少しずつ理解し獲得していきます。「子どもは他の子どもから大人っぽい言葉をたくさん学ぶということです。赤ちゃん言葉をたくさん聞いている幼児でさえも、他の子どもたちから大人っぽい言葉をたくさん吸収しているのです。なぜなら、乳幼児が耳にする言葉の大部分が大人同士の会話だからです。」(同書101ページ)

「親が赤ちゃんに赤ちゃん言葉を使っても明らかに大丈夫です。赤ちゃんとのコミュニケ―ションは人それぞれで、これが正解という方法はありません。一番大切なのは、“赤ちゃんとコミュニケーションすること”です。」「多少変化のあるコミュニケーションスタイルは赤ちゃんにとって一番いいかもしれません。親は子どもに赤ちゃん言葉を使うかどうか、あまり気にする必要はありません。その代わり、赤ちゃんとの楽しいやり取りに集中したほうがいいでしょう。」(同書102ページ)

本欄の最初の方で、乳幼児期の、禁止語・命令語でない温かい・丁寧なことばがけ、子ども自身に考えさせる配慮深いことばがけが、子どもの生涯にわたる成育・成長・活躍に大いに影響・寄与する、という研究成果の話を述べています(『3000万語の格差』ダナ・サスキンド著)が、真意は通ずるものがあると思います。

迷信③「親の離婚はほとんどの子どもの人生を破壊に導く」

アメリカでは、1970年代から離婚が増加し始め、子どもを持つ夫婦の半数が離婚する、と指摘する研究者もいるようです。そして多くの心理学者・カウンセラーらが、「離婚は子どもに愛情不信などの爪痕を残す。」と主張している、と前掲書の著者は述べています。(前掲書187~188ページ)

しかし、1990年以来の最近の研究によると、両親が離婚した子どもは、両親と暮らす子どもよりも、行動上あるいは心理的な適応にかかわる問題が、まったく同じではないにしてもその差は小さいもののようです。経済状況・学業成績・自己概念(自己肯定感のような観念でしょう)・社会的関係など、さまざまな要因を総合して調査すれば、さらに差は小さなものになると指摘する研究者もいます。最も新しい研究では、両親の離婚後の子どもの適応上の問題は、実は離婚によってもたらされたというよりも、離婚前からある両親・家族の要因(たとえば、両親のパーソナリテイ)によって説明できる可能性が注目されています。ここに、この迷信の重要なポイントがあるようです。離婚とは、近所の噂話として興味をそそられやすく、口コミで広がりやすいため、「心理学的迷信の原因」になっているようです。(同書189ページ)

著者の結論は、「離婚だけで家族が「崩壊」し、子どもの人生が「破滅」する、という考え方には反対です。」(同書191ページ)とのことです。

そもそも、「結婚」「家族」とは何か?どんな形態をとっているか?どんな形態にするためいかなる試みが当事者内でなされているか?という根本問題は、歴史的に見ても、諸国間を比べても、諸個人間でも実に多種多様な在り方・考え方があるようです。日本でも中世・戦国時代は「織田(信長)家」と「斎藤(道三)家」の家同士の政略結婚などの例も多くあった訳ですし、近代にいたっても戦前の結婚形態は、男女差があるなど今の形とかなり違っていたことを考えると、結婚を通じてどのような望ましい家族像をえがいて生きていくか、という問題を自分なりに真剣に考え試行錯誤していくことの意義が、あらためて浮かび上がってくるような気がします。

迷信「ほとんどの赤ちゃんには、「魔の2歳児」の時期がある」

日本では「イヤイヤ期」と言われるように、アメリカでも2才前後には、「何でも「イヤ!」と言う」「壁に絵を描く」「化粧品のクリームを塗りつける」「大泣きする」など、常識をはるかに飛び越える行動時期がある、ということが多かれ少なかれ観察され、いくつかの多く売れた育児書やドキュメンタリーから「魔の2歳児」の時期がほとんどの赤ちゃんにある、という考え・意識が広まったようです。(前掲書152ページ)

しかし、アメリカや・ノルウェーなどの広い調査研究書からは、「2歳児は1、3、4歳児と比べてもより魔であるとは言えないと考えられます。どんな行為をしでかすかは、個々の子どもによって千差万別ですし、どのように突飛な行為が収まっていくかの時期も、個人で様々です。」(同書155~156ページ)

日本での同様の印象を与える出来事としては、最初に書いたように「イヤイヤ期」と言われる現象でしょう。これについては、日本でも最近よく聞くようになった言葉ですし、子どもの自立への第一歩・「子どもの一つの成長の現象」として上向き・積極的・好意的に受け止め、一つ一つに子どもの意思をいったん受け止め、丁寧・冷静に対応していくことが大切でしょう。(東京都立大学教育学教授・酒井厚氏・ネット記事から)

対応法のコツの要点を述べてみます。

子どもの1~3才の時期は、行動も言葉も、日々目覚ましく成長・発達する時期です。毎日新しいことばを(一つ一つですが)幼稚園などで覚えてきてしゃべりますし、行動も毎日変わっていきます。そこをちゃんと見極め成長のたくましさ・力強さとして実感することが、子育てに立ち会う一番の喜び・感動であると思いますので、保護者の皆さんも、自分の思った通りにならずに叱ったり、もっともっといろいろとやらせたい、などと焦らずに、おおらかに見守ってあげてほしいと思います。子どもたちも、大人のしゃべること・やることをいつもいつも注意深く観察し、自分もあんな風にやってみたい・しゃべってみたい、と願いチャレンジしていますが、そう願ったとしても、すぐにできるわけでもなく、何度も失敗・言い間違いを繰り返しながらひとつひとつ習得していくものですから、じっくり・ゆっくり・焦らずにつき合ってあげていただきたいと思います。

私も、男の子一人と女の子一人を恵まれ、できる限りつきあいました。子が泣いている原因がわからずに悲しく思った経験は少なからずありますが、「イヤイヤ期」を経験しているなあ、と思ったことは皆無です。酒井厚氏の調査によると、4分の1の子どもの保護者はそういった回答をしています。

気になるその背景としては、次の5点ほどと考えられます。

①うちの家族には、祖母(私の母)がまだ元気でいて、親子の理解者・協力者としていてくれたことです。何人子どもを育てても、子育てには疑問・迷いが絶えないものですし、そんなときには何でも愚痴のように話すことで、悩みは解消しますし、親(私たち夫婦)のストレス解消になりました。

②家庭の状況として、大きな変動はなく、親子・家庭の情緒が安定していました。

③近所・寺の門徒さん・親戚・知人友人など、多くの人々に愛され声かけされ、温かく見守られる環境に恵まれていました。

④下の子が生まれたときは、上の子は小学2年生でしたから、「兄妹げんか」「上の子の赤ちゃん返り」などは、一切ありませんでした。

⑤以上のようないろいろな知見・知識・勉強を、子育ての前にしていたことを参考にできました。

今後は、こうした知識を、皆さんがあくまで参考にしながら、試行錯誤しながらご自身の子育てに生かしていかれることをおすすめします。

子育てに関する迷信

私は『本当は間違っている育児と子どもの発達にまつわる50の迷信』という本の題名に興味を持ち、最近買って読んでみました。この本は、妊娠・胎児のときの心得の問題から、しつけ・情緒(安定)・身体発達・知能発達・人間性・人間関係の問題に至るまで、よく聞くさまざまな見解が迷信であることを現代科学から検証しようとしたアメリカ人による専門書です。(スティーブン・ハップ、ジェレミー・ジュエル著・邦訳版・金剛出版2024) 50種取り上げている中から、現代日本でも話題になりそうな問題について、いくつか選んで考えてみたいと思います。

 

迷信①「アタッチメント(愛着)ペアレンティング(育児)は、母子の絆を深める」

「上のことを強調している書物『The Baby Book』(『赤ちゃんの本』ウイリアムズ・シアーズ著)がベストセラーとなったことなどにより、アメリカの中でも調査対象の大学生・親の8割強が上の迷信を信じていました。

しかし、シュベイダSvejdaらの研究により、「特別な早期接触を受けた母親の群と、対照群として特別な早期接触を受けない母親の群を比較したところ、28の愛着行動のいずれも両群に差がないことが明らかとなりました。」(前掲書『50の迷信』51ページ)

アメリカの教育学会などでの研究を見ると、日本では倫理・人倫的な問題になりそうな大規模な人体実験・統計調査を平気でやりますが、この研究結果もその一例のように感じます。

乳幼児の親子間のアタッチメントを重視する日本の教育学界の保育論者としては、東京大学教授の遠藤利彦氏が有名です。氏は、チャウシェスク政権下のルーマニアの孤児院で育った子どもたちの研究から、適切なアタッチメントの必要性を説きます。その孤児院は、物理的には豊かな環境が整ったものでした。しかし、「人の手による世話」が著しく乏しかった。大勢の乳幼児に対し、食べるのも、おふろに入るのも、排せつでさえ、すべてが数人の世話係によって一斉におこなわれました。いつも決まった養育者でもなく、怖いときにくっつくこともできない環境で育った子どもたち。そうしたアタッチメントがはく奪された子どもたちに、パーソナリティ形成を阻害し、生きていくうえでの困難を生むほどに生涯にわたる長期的な悪影響をあたえたのです。(ネットから情報を得ました。)

遠藤氏は、乳幼児には、「安全・安心の基地」としての家庭が絶対に必要だと主張します。「安全・安心の基地」とは、次のようなものです。私たちは、大人でも、子どもでも、外でいろいろな生活・活動・遊び・仕事をして、失敗・トラブル・攻撃を受けるなどさまざまな負の経験をします。そんな時にも、家庭のような安心・安全が担保される基地・居場所・信頼できる人(親・父母など)があると、子どもは、そこへ帰ってきてしばらく時間をかけてすごすことによって心のダメージを治癒・回復し、「非認知能力・スキル」を育むことができます。外界とこうした基地とを何度も何度も行ったり来たりして少しずつ社会での過ごし方のノウハウを身に着けていくのです。

「家族って何?」

まずは、以下の図絵作品をご覧ください。

 

 

 

 

これらは、2007年度「新聞広告クリエーティブコンテスト」受賞作品です。(朝日新聞2007年10月26日)

どの作品もみんなとてもよくできていて、なるほどな~~と味わい深く鑑賞したり感心したりできますよね。

家族についての常識的な意味づけ・定義づけとしては、「最も親しい人たちの共同生活の最小単位」と言っていいと思いますが、最も親愛なるがゆえに、年長者(成人)が幼き者たち(未成年者)を養育・教育する責任を強く感じすぎるあまり、ついつい年長者側の考える理想・夢・希望のレールを敷き幼き者たちを走らせてしまいがちですが、家族の一員と言えども、それぞれが個別の独立した生身の人間・人格ですから、好み・感情・希望・知識・経験・意思などは皆ちがうものです。そのことによって、ときどきはお互い志向することが違ってぶつかりトラブル・口論になることもあるでしょう。できるかぎり密にコミュニケーションをとって、皆が納得する道を探りたいものです。

安心できる居場所としての家族は、大人にとっても子どもにとってもとても大切なもので、これがあってこそ自身を持って外へ出て行って自分の力を存分に発揮できる、とも言えるでしょう。