迷信「認知機能を刺激する映像を見せると赤ちゃんの知能が高くなる」

アメリカでも、現代では親が子どもの豊かな知能発達を遂げることが広く願われていることのようです。そのために、テレビやビデオ・DVD(今ならユーチューブなどでしょう)、「左脳を育てる」を銘打った教育ビデオが多くつくられ消費されているのが現実です。それらの教材が乳幼児・児童の知能をより発達させる、と多くの親が信じているようです。

しかし、最近の発達研究では、①親のかかわりなしにDVDを見続ける子どもグループ②親のかかわりとともにDVDを見る子どもグループ③親のかかわりだけで単語を教えるグループなどの比較実験の結果、③グループがもっとも効果的に単語を多く覚えたということでした。このように、親が愛情深く対話しながら言葉を教えたり、物事を語り聞かせたり、絵本を読み聞かせたりすることより効果的な教育方法はない、と結論づけたのです。(前掲書90~95ページ)

このことには、固有の理由があるようです。「「ビデオの欠陥」(限界があることの理由)は、乳幼児は、生で見た同じ動作は容易に真似ることができましたが、ビデオで見た動作はなかなか真似できない」からだそうです。「幼い子どもは学習する可能性を持っていますが、メディアだけを通してではなく、現実世界の相互作用に直面したときに、より効果的だ」(同書93ページ)からです。

私たち大人も、愛する対象(子ども・恋人・タレントの他、動物・植物・例えば好きな陶芸作品)には、写真や動画で見ているだけでは、やはり物足りなさ・不足感を禁じ得ないし、生(ライブ)で見る・会う・対話する・関係することへの欲求があることを考えると、より繊細な感受性を持った乳幼児ヘの教育効果という点では、比べ物にならないのでしょう。

本欄でも、かなり以前に「3000万語の格差」という研究報告書をとりあげて考察しましたが、乳幼児を育てる最も尊い方法は、やはり「愛語(あいご)」(仏教用語:おだやか・愛情深い語りかけ・対話)なんですね。

 

迷信「夜中に赤ちゃんを泣いたままにさせると、発達に悪い影響がある」

前掲書の第2章では、泣くことが唯一の「仕事」である赤ちゃんは、夜、親の望むように寝てはくれないことが子を持つ親のほぼ全員の悩みの種であることから話を始めます。そして今から100年以上前から、泣いて寝てくれない赤ちゃんに対しては、「泣かせておくCry It Out」ことが勧められてきた、と述べています。しかし、現代の親たちは、それがどんなに苦痛・悲しみをともなうことであることかに悩んでいる、と観察・判断しています。そうしたことから、現代では、クライ・イット・アウト法は、赤ちゃんの健全な精神発達には悪い影響がある、というのが定説のようになっているようです。

 

私も、二人の子どもの子育てに(部分的に)関わる中で、子どもが何で泣いているのか分からなくてとても悲しい思いをしたこともずいぶん経験しました。二人の子どもはいわゆる「夜泣き」はほとんどと言ってもいいくらいありませんでしたので、その点では育てやすかった、と思っています。一般的な話として、アパート住まいなどの若い夫婦・家族では、赤ちゃんの夜泣きがひどいと、隣近所の住民に迷惑がかかるので、夜中に若いお父さんが赤ちゃんを抱っこしてあやしながら外を散歩して、赤ちゃんが泣き止んだら住まいへもどってくる、などということも聞いていましたが、わが家ではその必要・経験はありませんでした。

 

さて、同書の内容紹介を続けましょう。最近の研究(2010年)では、「クライ・イット・アウト法」が乳幼児の精神的健康や愛着を阻害することはないと報告しています。(同書72ページ)私たちを安心させる2点の見解をもってまとめにしましょう。

①「子どもはとても傷つきやすいのでどんなストレスにも対処できないと思われていますが、実際は、子どもは人生のストレスに対応する能力が十分にあります。」「さらに言えば、ストレスと上手くつき合うことは、人生における重要なスキルの一つです。」

②「クライ・イット・アウト法を推奨する人は、すべての親がこの方法を使うべきであるとは言っていません。むしろ、子どもの睡眠問題に悩む多くの家族にとって、有用かつ安全な選択肢の一つになりうると主張しています。」「赤ちゃんが独りで眠れるようになり、自分を落ち着かせるスキルを身に着けることこそが、小児の睡眠障害を防ぐ最善の方法です。」

クライ・イット・アウト法を採用することが「良い」か「悪い」か、白黒どちらかの単純な結論に終わるものではなく、起きているときの安心・安全・幸福な昼間の生活の後でも、順調に寝入ることはできずにぐずったりするということはありがちなので、おむつ・病気などを確かめた後は多少はそのまま泣かせておくくらいは罪なことではないのでしょうね。

迷信⑤「歩行器を使うと早く歩けるようになる」

前掲書では、歴史的に多くの指導的立場の人々が、上の考えを信じていたことの証拠を挙げています。ざっとあげますと、

  • 中世に描かれた絵≪幼いイエスに木製の歩行器を送るヨセフ≫
  • 1577年フェラリアスの記録
  • 1646年のレンブラントの絵
  • 1700年ウイリアム・カドガン医師のすすめ
  • 1906年広告
  • 2013年シアーズ社のネット広告

などです。(同書84~85ページ)

20世紀~21世紀の研究によると、歩行器を使っても子どもは早く歩けるようにはならず、むしろ「歩こうとする欲求を損なうものである」と結論づけています。「乳児のほとんどは特別な訓練なしで歩けるようになります」(同書86~87ページ) 乳幼児の自然な生理的成長欲求にまかせて最低限必要な安全確保さえしていれば歩けるようになる、ということでしょう。私も二人の子どもがそれぞれ1才になるころ、子ども用のいす・ソファー代わりに歩行器に一時的にすわらせたこともありましたが、それぞれ順調に歩き方をみずから体得していきました。また、「はいはい」歩きも大いにさせた方がその後の全身の発達に良い、と言われますが、これも個人差があり、私の長男は大いにはいはい歩きをしましたし、ちょっと歩けるようになると、外へ自分で戸・網戸を開けて出て行ってしまうので、網戸の上部に針金で手製の鍵をつけたくらいでした。また長女は、はいはい歩きはほとんどしませんでしたが1才の頃は毎日歩ける歩数・距離がぐんぐん伸びていくのが目に見えてわかるくらい発達していきました。

著者は、別の視点から歩行器に安易に頼ることの危険さも指摘しています。歩行器に座らせておくとちょっと子どもから目を離したすきに知らない間にどこかに行ってしまうなどの心配がない、と安心してしまうことから、歩行器使用中についつい目を離して「階段から落ちる、テーブルやストーブから熱いものを落としてやけどを負う、プールや浴槽で溺れる、中毒を起こす物を触ったり口にする、」などの危険がある、と言います。いずれにしても、やはり子どもが歩き始めたら逆に今までなかった危ないことが多く待ち構えているものですから、この時期は、基本的にいつも誰かは見守っている必要はあるのでしょう。

迷信:「赤ちゃん言葉」を使っていると普通に話せるようになるのが遅くなる

赤ちゃん言葉というのは、日本でもアメリカでもその他の国でもよくあることのようです。どんな赤ちゃんも、肌がきれいで身体・手足もとっても小さくて可愛らしいもので思わず触りたくなってしまう魅力がありますよね。そんな赤ちゃん・乳児に話しかけるときは、赤ちゃんに寄り添いたくなる大人の心理から、赤ちゃん言葉が自然に出てしまうものでもあると思います。

しかし、こんな大人の自然な心理に反して、赤ちゃん言葉を子どもの言語発達の妨げになる、と批判する人も少なからずいるようです。

けれども前掲書では、最近の研究から、「乳児は、赤ちゃんが話す言葉を好んで聞くということを明らかにしています。」「乳児が赤ちゃん言葉を聞くと、より注意を払ったり、嬉しそうな顔をしたりすることで、大人の赤ちゃん言葉の使用を強化している可能性があります。つまり、赤ちゃん自身が大人にもっと赤ちゃん言葉を使うように促しているのです。」「赤ちゃん言葉が好まれるのは、嬉しい感情を表現したいからだとする研究もあります。」と述べています。(同書100ページ) 冒頭に述べたように、赤ちゃんに出会った大人の嬉しい感情の現れには、悪い影響はないようです。

私たち幼児教育にたずさわる者は、幼児にお話をするときには、基本的にはその場にいる一番年少児の言語理解能力に合わせて話すように心がけます。これは子どもにまごころを伝えたいときにとる当然・自然の「子どもに寄り添う」姿勢です。けれどもそんな中でも、大人のことばが部分的に出てきますし、そんな話を何度も聞くうちに、自然と大人のことばを少しずつ理解し獲得していきます。「子どもは他の子どもから大人っぽい言葉をたくさん学ぶということです。赤ちゃん言葉をたくさん聞いている幼児でさえも、他の子どもたちから大人っぽい言葉をたくさん吸収しているのです。なぜなら、乳幼児が耳にする言葉の大部分が大人同士の会話だからです。」(同書101ページ)

「親が赤ちゃんに赤ちゃん言葉を使っても明らかに大丈夫です。赤ちゃんとのコミュニケ―ションは人それぞれで、これが正解という方法はありません。一番大切なのは、“赤ちゃんとコミュニケーションすること”です。」「多少変化のあるコミュニケーションスタイルは赤ちゃんにとって一番いいかもしれません。親は子どもに赤ちゃん言葉を使うかどうか、あまり気にする必要はありません。その代わり、赤ちゃんとの楽しいやり取りに集中したほうがいいでしょう。」(同書102ページ)

本欄の最初の方で、乳幼児期の、禁止語・命令語でない温かい・丁寧なことばがけ、子ども自身に考えさせる配慮深いことばがけが、子どもの生涯にわたる成育・成長・活躍に大いに影響・寄与する、という研究成果の話を述べています(『3000万語の格差』ダナ・サスキンド著)が、真意は通ずるものがあると思います。

迷信③「親の離婚はほとんどの子どもの人生を破壊に導く」

アメリカでは、1970年代から離婚が増加し始め、子どもを持つ夫婦の半数が離婚する、と指摘する研究者もいるようです。そして多くの心理学者・カウンセラーらが、「離婚は子どもに愛情不信などの爪痕を残す。」と主張している、と前掲書の著者は述べています。(前掲書187~188ページ)

しかし、1990年以来の最近の研究によると、両親が離婚した子どもは、両親と暮らす子どもよりも、行動上あるいは心理的な適応にかかわる問題が、まったく同じではないにしてもその差は小さいもののようです。経済状況・学業成績・自己概念(自己肯定感のような観念でしょう)・社会的関係など、さまざまな要因を総合して調査すれば、さらに差は小さなものになると指摘する研究者もいます。最も新しい研究では、両親の離婚後の子どもの適応上の問題は、実は離婚によってもたらされたというよりも、離婚前からある両親・家族の要因(たとえば、両親のパーソナリテイ)によって説明できる可能性が注目されています。ここに、この迷信の重要なポイントがあるようです。離婚とは、近所の噂話として興味をそそられやすく、口コミで広がりやすいため、「心理学的迷信の原因」になっているようです。(同書189ページ)

著者の結論は、「離婚だけで家族が「崩壊」し、子どもの人生が「破滅」する、という考え方には反対です。」(同書191ページ)とのことです。

そもそも、「結婚」「家族」とは何か?どんな形態をとっているか?どんな形態にするためいかなる試みが当事者内でなされているか?という根本問題は、歴史的に見ても、諸国間を比べても、諸個人間でも実に多種多様な在り方・考え方があるようです。日本でも中世・戦国時代は「織田(信長)家」と「斎藤(道三)家」の家同士の政略結婚などの例も多くあった訳ですし、近代にいたっても戦前の結婚形態は、男女差があるなど今の形とかなり違っていたことを考えると、結婚を通じてどのような望ましい家族像をえがいて生きていくか、という問題を自分なりに真剣に考え試行錯誤していくことの意義が、あらためて浮かび上がってくるような気がします。