親子関係・家族関係って何?

最近出逢った本で、仏教(浄土真宗)的に望ましい・理想・目標とすべき人間関係・親子関係をどう考えたらよいか、ということについて大変感銘を受けた文章がありました。「私たちの身近な人間関係には、夫婦関係や親子関係がありますが、この中にも利害関係が入りやすいものです。親にしてみれば、今、子の機嫌を損じると将来面倒を見てもらえない、と考えたり、子にしてみれば、親の機嫌を損ねると財産がもらえないかもしれない、などと考えたりしがちです。」「親が子どもに対して親の権利を主張すると、親子関係は不純になっていくと思います。子はどこまでも自分に対して恵まれた存在であるという思いがあると、親と子でありながら親友の関係ではないでしょうか。」「何も遠慮がない純粋な人間関係のことを親友と言うのでしょう。」(『招喚する真理』大峯顕著・本願寺出版社2011・57~58頁)
親友とは何でしょう? 私は次の3点を満たす人間関係だと思います。
①相性が合い、お互いの魅力にひかれあうこと
②打算がなく、対等にお互いの人格・人間性(性格・能力・考え・嗜好など)を尊重し合えること
③時には耳の痛い忠告をも、勇気をもって言い合えること

宝物のように思うわが子に対し、幼少のころは人生の先輩として世の中の基本的な最小限のルールを教えるなどの責任は果たしていかなければなりませんが、さらに深いレベルでは、お互い一人の独立した人間同士の尊重し合い学び合う姿勢が大切なのでしょう。指導意識が高じるあまり出てきてしまう上下意識(利用・支配・打算・管理・操作・過干渉)はきっぱりと捨てて純粋に子どもとのつきあいを楽しむ、という心がけが大切なのでしょうね。

子どもの成長の足跡

「育児漫画家」という肩書きをもつ高野優さんが、お世話になった幼稚園の園長先生が話された次のことばを心の支えとして、ご自身の娘さんを子育てされたそうです。

「乳児期は肌を離さず、
幼児期は手を離さず、
学童期は目を離さず、
思春期は心を離さずに」

この言葉には、愛情深く子どもを見つめ・思いながらも、子どもが成長し自立していくにつれて、子どもと親との通じ合いの要(かなめ)どころが変化していく様子と、かかわり方を変えていくことへのアドヴァイスがわかりやすく表現されていると思います。子どもたちが日々成長・変化し自立していくことは、保護者・保育者にとって喜びでありますが、反面少しずつ離れていくことに寂しさもともなうものです。ここでは、保護者・保育者も「今の子どもたちの本当の幸せは何か」を問い求め、成長する機会なのですね。

自然体の教育

近代の教育思想の幕開け・先駆者となり、今ではその著書が古典となった教育思想家・J.J.ルソーは、「理想的な教育者であるためには、ごくごく素朴・純朴・平均的な親であればよい。」と言っています。
この言葉の真意を考えてみると、「親として子へのゆったり・ほのぼのとした愛情を基本として、変に高望みしたり世間体にこだわったりして親のエゴを子どもに押しつけたりせず、子に対しては、いろいろな年齢・地域・タイプの人たちと友好的につきあいながら、何らかの社会の役割を担っていくことを願ってできる限りの愛情込めて接していけばよい」「教育には我が子との率直・おおらかな心の通じ合いを一番大切にすればよい」ということだと私は受けとめています。
これまで、子どもたちのからだ・こころ・ことばの健やかな発達のために心がけることが望ましい諸点について縷々(るる)述べてきましたが、過度の配慮により子どもたちに不要な抑圧(プレツシヤー)・不安感を与えてしまうことのデメリットにも気をつけましょう。

親の権威とは?

「逆説の子育て 威張(いば)り、威厳(いげん)ではない」(岐阜新聞2014年10月3日)
昔に比べると、今は、やさしいお父さんが増えてきたように思いますが、これも、男女平等参画という時代の移りゆきの一つの反映でもあるのでしょう。こんな中、親の権威・威厳とは何か?どう子どもに表現していったら良いのか?といったことについていろいろと考えてみる必要があるように思います。この新聞記事では、次のように述べています。「お金を稼いでいる人が偉い、などというのは浅はかな価値観です。」「そもそも「厳しさ」とは、見せびらかすためにあるものではなく、自分自身を律するためにあるものだと思います。本当の「威厳」とは、「人間として正しいことができる強さ」や「正しいことを自分自身に課す厳しさ」からにじみ出るものです。例えば、間違ったときには子どもに対しても真摯(しんし)に謝(あやま)ることができる、成すべき事を成すまで言い訳しない、など。大人のそういう正しさ・気高さにこそ、子どもは威厳を感じるのだと思います。そして、自らも威厳ある人間に育っていくのではないでしょうか。」(教育ジャーナリスト・おおたとしまさ氏)

まさに、「子は親の背中を見て育つ」のことわざ通りですね。

教育の名言「かあさんって、ぼくがうれしいと、いつもうれしいって言うんだね」

「子狐(こぎつね)を亡くし憔悴(しようすい)する母狐(ははぎつね)。通りかかった電話ボックスで少年が、遠くで入院している母親に今日あったことを嬉(うれ)しそうに伝えていた。ある夜、電話が突然使用中止となり、母狐は新しい電話ボックスに化けた。内で響く少年の弾んだ声。それが母親の哀(かな)しみを溶かせることを身をもって知り、母狐の心に再び灯(あか)りが点(とも)る。絵本『きつねのでんわボックス』(戸田和代著・たかすかすみ絵)から。」(朝日新聞2019年1月19日「折々のことば」鷲田清一筆)

教育講話などではよく「親子って何だろう?」という問いが出されますが、やはりこの絵本の語るように、一番心を同じくする人と言っていいのでしょうね。