<性教育について>

幼少期の子どもが成長するにつれ、男女のからだの違い・大人と子どものからだの違いに気づき、興味をもったり大人に率直に質問したりすることはごく自然なことなのでしょう。「赤ちゃんはどのように生まれてくるの?」「赤ちゃんはどうやってできるの?」など、性に関する子どもの率直(ストレート)すぎる質問に、大人の方がドギマギしたり、とっさの答えに窮したりすることは、これもよくありがちなことです。返すことばに困って、「そのうちわかるよ。」などと変にはぐらかしたり、「そんなこと、子どもは知らなくていいの!」などと押さえつけた経験をお持ちの方やそんな例を見聞きした方も少なくないのではないでしょうか。

性の問題は、私たちのいのち・人類の種の保存・人生上の大きな根本問題の一つでありながら、日本の教育界では、これまで性教育について真正面から真摯に取り上げてこなかった歴史があり、近年それを反省して、幾多の専門家・論者が声を上げて自論を新聞や著書で展開しています。欧米やその他の他国の例も参考にしながら、公教育にも取り入れられつつあります。本欄でも、個別の問題や、原理的な問題など少しずつ取り上げながら考えていきたいと思います。

次回以降を、お楽しみに。

岐阜市内の小学校の教科書『みんなのほけん3・4年』(29頁)

<ひきこもりやニートになる人生を避けるには>

子どもが幼児期から小学校へ進学すると、やはりどの親さんも学校に早くなじんで、先生や友だちと親しく好ましい人間関係をつくっていってほしい、と願うのが本音だろうと思います。しかし、現代の学校とは、明治5年に明治政府が「学制」を制定して以来150年の、近代社会特有の教育制度であり、子どもたちの多様な個性・興味関心・得意不得意の能力をいったん捨象(しゃしょう)(棚上げ)してつくりあげられたものなので、そもそも無理を背負って運営されているものです。ですから、不登校・いじめ・ネット上の誹謗中傷などの事件が後を絶ちません。

「「子どもに将来ひきこもりにならないでほしい」と心配している親御さんも多いはずです。受験、就活、仕事などの失敗が要因になるケースもあるので、失敗から立ち直る力、つまりレジリエンス(※)を高めておく必要があります。レジリエンスの基礎になる自己肯定感(じここうていかん)を育むようにしましょう。

学校や職場の人間関係がうまくいかないことが要因になるケースもあります。人間関係の基本は他者信頼感とコミュニケーション力なので、親子関係をよくしてそれらを育んでおきましょう。

特別なことをしなくても、自己肯定感と良好な親子関係のふたつを大切にしていれば大丈夫です。」(『ずるい子育て』親野智可等氏著・ダイヤモンド社・2024・232~233頁)(※resilience:①弾力性②回復力、快活、元気)

これまで「非認知能力」について縷々述べてきた課題である、①自分の好きなことにトコトンのめりこむこと、②家庭での安心・安全な環境、③間違い・挫折もおおらかに受容され、再挑戦に励まされること、につながって来ましたね。

<挫折・失敗への対応>

前々回まで4回ほど論述していた「非認知能力」の話に戻りましょう。

大人も子どもも、日々の生活の中で、失敗も挫折も数多く体験します。思った通りにうまくいかず悔しい思いをしたり、落ち込んだり、という経験は誰しもありますが、そんな時、周囲の人的環境が恵まれていると、立ち直り(レジリエンス)が早くたやすいものです。

「子どもの挫折は、立ち直る力を育てるチャンス

子どもが試験に落ちたり試合で負けたりと、思った結果が得られず挫折したときの対応はとても大事です。子どもの気持ちに添って対応することで、「立ち直る力」が育つきっかけになります。

そっとしておいてほしい子には、むやみに話しかけないほうがいいかもしれません。それでも、見守ることは必要です。

くやしい気持ちを吐き出したい子なら、共感しながら聞いてあげてください。結果はどうあれ、がんばったところをほめることが大切です。努力が足りなかったなどと責めると立ち直りにくくなります。親自身の挫折体験を話してあげるのもいいかもしれません。子どもにとって、挫折経験は自分を見つめ直して成長する機会でもあります。」(『ずるい子育て』親野智可等氏著・ダイヤモンド社・2024・P222~223)

 

 

 

 

 

 

これを読むと、子どもの性格をふまえた対応が必要だということがわかりますね。

同様に、失敗や間違いにおびえずのびのび・大らかにチャレンジすることの大切さを説いている絵本があります。

「みんなどしどし手をあげて まちがった意見を言おうじゃないか まちがった答えを言おうじゃないか」(『教室はまちがうところだ』蒔田晋治著・子どもの未来社・2004・P2)

学校・幼稚園では、授業でも生活上でも、毎日さまざまな課題に直面し、子どもたちは否が応でもチャレンジしていかなければなりません。そんなときも、この絵本の真の意図を思い出しながら取り組むと、気が楽になって思い詰めすぎずに取り組めますよ。

<2024パリ・オリンピックが終わって>

コロナ禍で1年延期されて「無観客」で開催された東京オリンピックとは打って変わって、大観衆を受け入れての従来の形のオリンピックがパリで開催されました。夜中過ぎにテレビ中継・メダルラッシュに夢中になり、寝不足になった方も多かったことでしょう。

私はいつも、メダリスト他の競技後のインタビューのことばに注目しています。理由は、栄冠を勝ち取った選手も頂点にたどり着かなかった選手も、ほとんどが、前回・前々回のオリンピックやその後のさまざまな人生上の辛い経験・失敗から何度も必死に這い上がって努力を積み重ね、すべてをやりつくした後の、身の回りの多くの方々へのすがすがしい感謝の想いが飾りなく噴き出していて、私自身励まされるからです。

いくつかをご紹介しましょう。

女子陸上やり投げ・金メダリスト・北口榛花(はるか)選手

「何が味方で何が敵なのか、わからなくて悩んだ時期があった。この場(オリンピック競技場)に立てることが無理か、と思うほど辛いこともあった。」

女子レスリング53キロ級・金メダリスト・藤波朱里選手

「みんなで勝ち取った金メダルだと思います。」

男子レスリングフリースタイル57キロ級・金メダリスト・樋口黎選手

「自分を信じ支えてくれたコーチ・仲間・家族・親族他のおかげです。」

男子陸上やり投げ・予選敗退・ディ―ン元気選手

インタヴュアーから「この雰囲気、どうですか?」と訊かれて、

「最高ですね!!!」(^‗^)

 

「スポーツマンシップのあらわれ」

1932年ロサンゼルスオリンピックで、400ⅿハードルのバーレー選手(イギリス)は、開会式の翌日に予選が控えていたので、開会式は休むつもりでした。しかし、彼のライバル・テーラー選手(アメリカ)が開会式に出席すると聞き、同じ条件で試合をしなければ、フェアプレーでないと考え、開会式に出席すると決めました。試合の結果はテーラー選手3位、バーレー選手4位でしたが、握手をしたバーレー選手の顔は、明るく輝いていたそうです。それは、勝ち負けだけが競技のすべてではない、ということを確信したからでした。(『少年少女学習百科大事典19・国語体育家庭』1968・学研・P153のコラム要約)

現今のプロスポーツ選手も参加できるオリンピックと違って、アマチュアリズムであった時代、上の文章を少年期に読み、オリンピックが大好きになりましたが、今のオリンピックでは、メダリストには多額の報奨金が授与されたり、コマーシャリズム(商業主義)や勝利主義が加熱化するあまり、ドーピング問題も頻発し、スポーツのさわやかさが崩れる面も出てきています。

自国の期待を一身に担って選手が参加するので、獲得するメダル数に関心が集中しがちですが、同じ競技に参加することにより国と国が新たな親交・友情をより深めることの方が、私には意義深く思えます。

<思いやりを育てるには 子どもに親切にする>

「非認知能力」のひとつの柱に、円滑な人間関係を結ぶ力(コミュニケーション力)というのがありましたが、相手・仲間を尊重し思いやる心が育つには、やはり幼少児期からの育つ環境の影響は大きいでしょう。

「お子さんが何かに困ったり失敗したりしたときは、「なぜできないの?」「ちゃんとしなさい!」と叱っていませんか?

他人が困っているときに、「ダメじゃないか!」「しっかりしろ!」とは言いませんよね。我が子にも同じように黙って親切にしてあげまよう。子どもは表面には出さなくても、親に深く感謝しています。親切にされてうれしかった経験があれば、自分も親切にしようと思いやるものです。」(『ずるい子育て』親野智可等(おやのちから)氏著・ダイヤモンド社2024・207頁)

「子どもに親切にしましょう。」と言われると、類似の姿勢である「甘えさせること」「甘やかすこと」とはどう関わるのか? どう違うのか? などという疑問が出てきます。子どもをゆったりと穏やかで懐(ふところ)深い愛情で包んで見守ることの大切さは、本欄の最初の頃からずっと主テーマとして述べてきましたが、幼いときほど思いっきり甘えさせることは大切ですが、甘やかすこととははっきり違いがあります。甘やかすこととは、子どもが自分でできること・すべきこと・やりたいことも、何らかの親の都合・自分勝手な理由で親が先んじてやってしまうことです。

子が「自分でやりたい」と言ったりしたときは、一歩引いて、まちがえても、失敗しそうになっても、おおらかに見守るゆとりを持ちたいものですね。