<自然の教育>

少し古い話ですが、昭和30年代~40年代のいわゆる日本の高度経済成長時代は、次々と新しい電化製品などが製造され流通し、ほとんど数年ごとに新たな「三種の神器」が出現していった時代でした。私たちの生活の中で、便利なものがどんどん生みだされる(たとえば「そろばん」から電卓へ、郵便物からメール送信へ)一方、日本の伝統的な生活文化(例えば風呂敷)・食文化が見捨てられていった時代で、大都会の「コンクリートジャングル」の中での孤独感などという新たな社会課題が出現し、そして平成・令和と続くと、「携帯電話」「IT」「AI」「ChatGPT」などと変遷し、今なおとどまることを知らないめまぐるしい動きです。

しかし、世界有数のノーベル賞級の科学者たちは、口をそろえて自身の幼少期の、野山などの大自然を駆け回り、探索・観察・冒険・挑戦して存分に楽しむことに耽溺(たんでき)した経験をお話しされ、2000年にノーベル化学賞を受賞した白川英樹さんは、教育のためには、「野原とか転げ回って自然を体感するということが一番大切なこと。本物を見せることが大切です。中学で葉っぱを採ってきて写生する授業があった。写真を撮れば終わりかも知れないけれど、裏返ししたり、見方を変えたりしながら全体をまず把握し、描くときは先入観を捨てて無心に描く。僕は化学技術の立場ですが、芸術の世界も同じですね。」と言われています。(岐阜新聞2000年10月27日)

私もここまで書いて、昭和の終わりごろに登山愛好家が、「山での天気を予想するには、自分の腕で空気(湿気)を感ずることが第一だよ。」と言われて「なるほどなあ。」と感動したのを思い出しました。生の大自然に直に触れて、十分に感覚を磨きたいものですね。

〈教育の名言〉大人と子どものよい関係 ~子どもは年の違う仲間~

親子・家族とは、最も親しい人間関係・仲間だと言ってもいいでしょうが、やはり「親しき仲にも礼儀あり」で、お互いを尊重し興味関心・考えの違いを認め合う一定の距離感もキープしたいものです。 かなり以前の新聞記事ですが、スクラップブックを読み返していたら、改めて「う~ん、そうか!」と感心し納得した記事がありました。

「「私は、子どもは大人を愛したがっている。大人にほれたがっていると思うの。子どもは本来、よるべない存在、大人の保護がないと生きていけない存在でしょ。だから子どもは自然に愛らしいおもざしをする。愛されることによって安全に生きていこうとする。それは演技なんかじゃなく、自分の命を守るための生きる営みの基本の力です。」子どもは無意識のうちにほれることのできる大人、生きるモデルになる大人を探している。かつては周囲からそんな大人を見つけることは易しかった。「昔は子どもが大人にほれやすかった。大人は子どもにできないいろいろなことができたでしょ。力仕事とか針仕事とか。子どもは親のそんな姿を生活の中で見て育ったので、すごいなあと尊敬もできた。だから大人は子どもの学んでいく上のモデルになった。でも現代は、大人の姿が子どもに見えない時代です。」生活と労働が一体だった昔と違い、子どもは父親が外で働く姿を見ることはない。知っているのは一日の労働に疲れきって帰宅した姿だけである。」「今や、子どもは“恵まれる”ものではなく、“つくる”ものになった。男女の産み分けさえ可能になりつつある。「そうすると子どもは親の所有物という感覚が強くなる。私がつくったんだから私が望むように生きてちょうだいと言われて育てられると、子どもは自分が一つの独立した存在、かけがえのない存在だと自覚できない。どんな大人になりたいか、自由にモデルを選ぶのも難しくなってくるでしょうね。」「大人と子どもは同じ地平に並び立つ年の違う仲間なんだと考えることが、よい関係をつくる出発点ではないかしら。」」(臨床心理士・小沢牧子氏筆・岐阜新聞1989年6月24日)

親として子どもにどう接しどう声かけしていったら良いか?という課題は、私たち親にとって、毎日絶え間なくぶつかる大問題ですよね。親の責務とは、基本的には、「子どもを自立・独立させるまでの養育・サポート」ということだと思いますが、親の側にも子に対するいろいろな期待・願いがあり、子どもも独自の感性・興味関心・夢をもつ一人格ですから、両者のすり合わせに日々悩むところなのでしょう。 子はいずれ親の目の届かないところへ巣立っていく存在である、という遠い将来の行く末を見据えていたならば、今一緒にいられる生活をかけがえのないひと時とありがたく受け止められ、日々遭遇するさまざまな課題も「あせらず・あわてず・じっくりと」楽しみながら取り組んでいけるのではないでしょうか。

<「早期教育」への警笛(けいてき)>

昭和の「高度成長」の時代から今日に至るまで、「早期教育」をうたう教育産業は、加熱の一途をたどって来ました。これは、大きく社会変動する現代の中で自然に発生する親の育児不安・教育不安にいわばつけこむ・あおる策略で進展して来たものです。

こうした親の不安感・教育への願いには、以下のようなものが考えられます。

  • 学校・クラスで落ちこぼれないようにしたい。
  • 高学歴をつけさせたい。
  • 英語をしゃべれるようにしたい。
  • 親が楽(らく)したい。
  • 親の面子を保ちたい。   などなど・・・

マスコミなどで、「卓球のオリンピックメダリスト・福原愛さんは、3才から卓球を始めた。」などと聞くと、気性の純粋な幼児のころに何でも始めさせた方が、将来のびる・大成するように思ってしまうのも無理はないのかな、とも思います。けれど、広く保育・教育に関わり、冷静・理性的な知見を発信している専門家の意見にも耳を傾けたいものです。

瀧靖之(たきやすゆき)氏(東北大学加齢医学研究所教授・医学博士)は、幼児・学童期には、子ども自身が好きになること・好奇心を持つこと・夢中になることを最優先にして取り組ませることをすすめていらっしゃいます。(社会的に承認されることであることという条件付きですが。)

(著書『16万人の脳画像を見てきた脳医学者が教える「賢い子」に育てる究極のコツ』文響社2016)

また、発達心理学の権威者・内田伸子氏(元お茶の水女子大学教授)は、「幼児期の本の読み聞かせをたっぷりと受けた子や、手先を使うブロック遊びが好きだった子は、小学校の国語の学力が高い。」「親子で楽しい会話をしていると語彙は豊かになります。」「早期教育にお金と時間をかけるより、子どもにふれ合い、遊ぶ時間をできるだけ確保することを考えるべきです。」とおっしゃっています。(朝日新聞2016年1月5日掲載)

本ブログでもこれまで、からだ育て・こころ育て・ことば育てについて、同様な内容をたくさん綴って来ました。ぜひとも(再度)お読みください。

モットーは、「子どもを信じて、あせらず、あわてず、じっくりと」ですね。

<ポジティブことば選び・その3>

前回・前々回の続きを、もう一度だけ載せます。

①(a) (つい言ってしまいがちなことば)「飽きっぽい」→(b) (望ましい言い換え語)「好奇心旺盛」

②(a)「頭が固い」→(b)「ぶれない」

③(a)「いいかげん」→(b)「鷹揚(おうよう)」

 

④(a)「お調子者(ちょうしもの」→(b)「ムードメーカー」

⑤(a)「協調性がない」→(b)「自主性がある」

⑥(a)「子どもっぽい」→(b)「童心を忘れない」

⑦(a)「能天気(のうてんき)」→(b)「前向き」

⑧(a)「無愛想(ぶあいそう)」→(b)「無口」

⑨(a)「理屈屋」→(b)「理論家」

(『ポジティブことば選び辞典』Gakken田沢あかね編2021より)

 

どのキャラクターも、私たちの身近な日常生活やいろいろな集団・組織の中でよく見られるキャラクターですよね。それぞれの多様な特徴・特性を懐広く受け入れ楽しみながら、豊かな人間関係を構築していきたいものですね。

もっと読みたい方は、図書館や書店で探してみてください

<ポジティブことば選び・その2>

前回の続きです。

 

  • (a)(つい言ってしまいがちなことば)「仕事が遅い」→(b)(言い換え語)「仕事が丁寧」

  • (a)「強引」→(b)「リーダーシップがある」

  • (a)「経験が浅い」→(b)「斬新(ざんしん)な発想ができる」

  • (a)「粗野(そや)」→(b)「ざっくばらん」

  • (a)「そそっかしい」→(b)「行動が早い」

(『ポジティブことば選び辞典』Gakken田沢あかね編2021より)

 

どれも日常生活でもありがちなスキットで、イラストもとっても面白いですよね。じっくり味わいながら、今後の私たちの生活でも考えていきたい問題ですね。