子育てに関する迷信

私は『本当は間違っている育児と子どもの発達にまつわる50の迷信』という本の題名に興味を持ち、最近買って読んでみました。この本は、妊娠・胎児のときの心得の問題から、しつけ・情緒(安定)・身体発達・知能発達・人間性・人間関係の問題に至るまで、よく聞くさまざまな見解が迷信であることを現代科学から検証しようとしたアメリカ人による専門書です。(スティーブン・ハップ、ジェレミー・ジュエル著・邦訳版・金剛出版2024) 50種取り上げている中から、現代日本でも話題になりそうな問題について、いくつか選んで考えてみたいと思います。

 

迷信①「アタッチメント(愛着)ペアレンティング(育児)は、母子の絆を深める」

「上のことを強調している書物『The Baby Book』(『赤ちゃんの本』ウイリアムズ・シアーズ著)がベストセラーとなったことなどにより、アメリカの中でも調査対象の大学生・親の8割強が上の迷信を信じていました。

しかし、シュベイダSvejdaらの研究により、「特別な早期接触を受けた母親の群と、対照群として特別な早期接触を受けない母親の群を比較したところ、28の愛着行動のいずれも両群に差がないことが明らかとなりました。」(前掲書『50の迷信』51ページ)

アメリカの教育学会などでの研究を見ると、日本では倫理・人倫的な問題になりそうな大規模な人体実験・統計調査を平気でやりますが、この研究結果もその一例のように感じます。

乳幼児の親子間のアタッチメントを重視する日本の教育学界の保育論者としては、東京大学教授の遠藤利彦氏が有名です。氏は、チャウシェスク政権下のルーマニアの孤児院で育った子どもたちの研究から、適切なアタッチメントの必要性を説きます。その孤児院は、物理的には豊かな環境が整ったものでした。しかし、「人の手による世話」が著しく乏しかった。大勢の乳幼児に対し、食べるのも、おふろに入るのも、排せつでさえ、すべてが数人の世話係によって一斉におこなわれました。いつも決まった養育者でもなく、怖いときにくっつくこともできない環境で育った子どもたち。そうしたアタッチメントがはく奪された子どもたちに、パーソナリティ形成を阻害し、生きていくうえでの困難を生むほどに生涯にわたる長期的な悪影響をあたえたのです。(ネットから情報を得ました。)

遠藤氏は、乳幼児には、「安全・安心の基地」としての家庭が絶対に必要だと主張します。「安全・安心の基地」とは、次のようなものです。私たちは、大人でも、子どもでも、外でいろいろな生活・活動・遊び・仕事をして、失敗・トラブル・攻撃を受けるなどさまざまな負の経験をします。そんな時にも、家庭のような安心・安全が担保される基地・居場所・信頼できる人(親・父母など)があると、子どもは、そこへ帰ってきてしばらく時間をかけてすごすことによって心のダメージを治癒・回復し、「非認知能力・スキル」を育むことができます。外界とこうした基地とを何度も何度も行ったり来たりして少しずつ社会での過ごし方のノウハウを身に着けていくのです。

「家族って何?」

まずは、以下の図絵作品をご覧ください。

 

 

 

 

これらは、2007年度「新聞広告クリエーティブコンテスト」受賞作品です。(朝日新聞2007年10月26日)

どの作品もみんなとてもよくできていて、なるほどな~~と味わい深く鑑賞したり感心したりできますよね。

家族についての常識的な意味づけ・定義づけとしては、「最も親しい人たちの共同生活の最小単位」と言っていいと思いますが、最も親愛なるがゆえに、年長者(成人)が幼き者たち(未成年者)を養育・教育する責任を強く感じすぎるあまり、ついつい年長者側の考える理想・夢・希望のレールを敷き幼き者たちを走らせてしまいがちですが、家族の一員と言えども、それぞれが個別の独立した生身の人間・人格ですから、好み・感情・希望・知識・経験・意思などは皆ちがうものです。そのことによって、ときどきはお互い志向することが違ってぶつかりトラブル・口論になることもあるでしょう。できるかぎり密にコミュニケーションをとって、皆が納得する道を探りたいものです。

安心できる居場所としての家族は、大人にとっても子どもにとってもとても大切なもので、これがあってこそ自身を持って外へ出て行って自分の力を存分に発揮できる、とも言えるでしょう。

「こんな母親の一言が子どものヤル気を伸ばす」

「子どものヤル気の芽を育て、持てる才能を充分に発揮させたいと、どの母親も念じています。

ヤル気があれば脳の働きもよくなるのは誰でも体験していることです。才能をひきだし成果をあげるのもヤル気の問題なのです。頭が良い悪いの生まれつき差は一般的にはそれほどないのです。頭の使い方次第なのです。

だから誰でもヤル気さえあれば大成果をあげ得る可能性を充分に持っているのです。母親の一言で二倍以上の人生がおくれるのです。」(前掲書・139ページ)

 

この文章は、本稿のタイトルそのままの「第五章」(前掲書)のとびらに書いてある文章です。この文章を読んでかなり似た主張をしている自然科学の世界的権威者の最近の著書の文章を思い出しました。その権威者とは、遺伝子学者・村上和雄氏(1936年~2021年)です。氏の最後の遺稿となった『コロナの暗号』(2021年・幻冬舎)の中では、

「いままで脳の働きは先天的に決められていると考えられていましたが、そうではありません。眠っている遺伝子をONにすれば誰でも天才なのです。なぜなら、人間のゲノムは天才も凡才も99.5%以上は同じにできているからです。しかも環境変化心の持ち方でも遺伝子ONは可能です。」「私は研究を行う過程で生命設計図の精緻さに心打たれ、DNAに暗号を書き込んだ何らかの『存在』を感じ、それをサムシング・グレート(大自然の大いなる力)と名づけました。」

村上氏の言う「サムシング・グレートSomething Great」とは、仏教やキリスト教で言う絶対者・超越者(仏・神)が強く発している「利他主義・思いやり・つつしみ・協力」といった心であり、そういった目に見えにくいし手でさわったりつかんだりしにくいが必ず誰もが聞いたり実践したり実践されたり経験することの可能な心性(メンタリティ)のことであります。現代の最先端の科学者も、こういうものを想定しないと理論的に説明できない科学現象がたくさんある、と言われるのです。大人・子どもを問わず、私たちの遺伝子スイッチをONにして最大限に才能を開花させていくには、サムシング・グレートを大切にしていけばいい、ということになるのです。

 

子どもへの具体的な母親のことばとして、宇佐美氏は以下のようなことばを挙げています。

  • 「よくやるのね。すごいわ」
  • 「よく知ってるのね。お母さんにまた教えてよ」
  • 「よい子ね。お母さん幸せよ」
  • 「人生は長いのだから気にしなくていいのよ。あせらず頑張りましょうね」
  • 「不得意なことを気にしない。得意なものを伸ばそうね」
  • 「あなたならできそうよ。この前だってやれたのだから」(前掲書・141~165ページ)

 

みな、前向き・上向き・ポジティブシンキングのことばがけですね。こういったことばがけが、子どもたちを劇的に変える「環境変化」なんですね。

<社会性 ~友だちと仲よく遊べるようにする~>

「昔から「よく学び、よく遊べ」と言われています。大人の社会を見渡しても、遊びを仲間と楽しめる人間は仕事も能率よくこなせるものです。忙しいを連発して、にがり切った青白い顔をしている人間は、たいして仕事もできないものです。ストレスはたまり、仲間意識がうすく、自己主張が強すぎ、協調性もなく、情緒不安定で感性も少ない。これでは創造的で能率のよい仕事ができるはずがないのです。人間は社会的な動物ですから孤立した状態でうまく生きられるはずがありません。」

「友だちと仲よく遊ぶことは体力と運動能力を高めるばかりでなく、社会性をも育てるのです。

社会性があることは、大人になって仕事をするとき大いに役立つのです。これからの時代は、どう協調し、協力を得ながら成果をあげていくかが重要な生き方のポイントの一つになるからです。職場でもチームワークを組んで取り組む機会がどんどん増えていて、そんな中では社会性豊かな人間でなくては成果が上がりにくいのです。」(宇佐美覚了著・前掲書・87~88ページ)

私はこの部分を読んで、十分に賛同するとともに、これまでの人生経験の中で出会った人物で、学業や仕事の成績を抜群に上げていながら、そのことを鼻にかけて露骨に自慢話しばかりする人物や、天狗になってエラぶる人物のことを思い出しました。そういった人物は、高年になって仕事が一段落して退職などすると、本当に人間性の豊かさを頼りに寄って来る友人は全くいなくて(いわゆる「人望がない」)、私生活では寂しい老後生活を送っているものです。

ぜひとも幼少時・若い時期から、少ないが真の友人と思えて末永くつき合える仲間との、適切な距離感・学び合い・尊敬し合いといったことを、経験させていきたいですよね。

<手足を積極的に使うようにさせる>

「体や脳の機能を高めるために、各種のスポーツ教室、音楽教室、学習塾に通わせている親がいますが、車での送り迎えが多いように思います。車を使わずに足を利用させるべきだと考えます。足を使えば健康維持や増進になるばかりでなく、脳の働きの強化に大いに役立つことは医学的にも、経験上からも十分に証明されているからです。

指を使うこと、手首を使うことも足と同じように重要なことです。日本人は手先が器用で脳の働きがよいのも、幼児のころから箸を用いてきたからだと言われています。もちろん箸の使用がそのすべての要因ではないにしても、箸の使用と脳の発達とは切れない関係にあるというのが常識的な考えになっています。精密機器が日本で発達したのは箸の利用と欠かせない因果関係にあると世界の人たちからも見られているのです。」

「子どもは野山を走り、石ころとか木ぎれを手にして遊びまわれることが重要なのです。子ども時代の身体も脳も精神も高められ伸びる時に、家の中でおとなしく閉じこもっているようでは将来はあかるくなる可能性が少ないのです。」(宇佐美覚了著・前掲書・81~82ページ)

私の世代が小中学生のころは、今のほとんどの子どもたちが持っているゲーム機・スマホ・i-pad・タブレット端末など、コンピューター機器などまったくありませんでした。遊びと言えば、野原でかけまわっておにごっこ・かくれんぼ・かんけり・秘密基地つくりなどの冒険ごっこ・小枝や古ハリガネなどで自分で使ったパチンコなどでした。室内でのちょっと精巧なものとしては、マッチ棒・割りばし・角材などで、船・東京タワー・お城のミニチュア・レプリカ作りでした。ハサミを初め、ナイフ・カッターなどで時折失敗して手を切ったりしながら、そうした経験によってこそ危険を避ける安全なナイフの使い方を自ら体得していったのです。

やけどを一度もしたことのない人はいないように、失敗も、生活上必要なことは何度も体験することによって学び、器用さ・技能・安全性を身に着けていくんですよね。