親子・家族とは、最も親しい人間関係・仲間だと言ってもいいでしょうが、やはり「親しき仲にも礼儀あり」で、お互いを尊重し興味関心・考えの違いを認め合う一定の距離感もキープしたいものです。 かなり以前の新聞記事ですが、スクラップブックを読み返していたら、改めて「う~ん、そうか!」と感心し納得した記事がありました。
「「私は、子どもは大人を愛したがっている。大人にほれたがっていると思うの。子どもは本来、よるべない存在、大人の保護がないと生きていけない存在でしょ。だから子どもは自然に愛らしいおもざしをする。愛されることによって安全に生きていこうとする。それは演技なんかじゃなく、自分の命を守るための生きる営みの基本の力です。」子どもは無意識のうちにほれることのできる大人、生きるモデルになる大人を探している。かつては周囲からそんな大人を見つけることは易しかった。「昔は子どもが大人にほれやすかった。大人は子どもにできないいろいろなことができたでしょ。力仕事とか針仕事とか。子どもは親のそんな姿を生活の中で見て育ったので、すごいなあと尊敬もできた。だから大人は子どもの学んでいく上のモデルになった。でも現代は、大人の姿が子どもに見えない時代です。」生活と労働が一体だった昔と違い、子どもは父親が外で働く姿を見ることはない。知っているのは一日の労働に疲れきって帰宅した姿だけである。」「今や、子どもは“恵まれる”ものではなく、“つくる”ものになった。男女の産み分けさえ可能になりつつある。「そうすると子どもは親の所有物という感覚が強くなる。私がつくったんだから私が望むように生きてちょうだいと言われて育てられると、子どもは自分が一つの独立した存在、かけがえのない存在だと自覚できない。どんな大人になりたいか、自由にモデルを選ぶのも難しくなってくるでしょうね。」「大人と子どもは同じ地平に並び立つ年の違う仲間なんだと考えることが、よい関係をつくる出発点ではないかしら。」」(臨床心理士・小沢牧子氏筆・岐阜新聞1989年6月24日)
親として子どもにどう接しどう声かけしていったら良いか?という課題は、私たち親にとって、毎日絶え間なくぶつかる大問題ですよね。親の責務とは、基本的には、「子どもを自立・独立させるまでの養育・サポート」ということだと思いますが、親の側にも子に対するいろいろな期待・願いがあり、子どもも独自の感性・興味関心・夢をもつ一人格ですから、両者のすり合わせに日々悩むところなのでしょう。 子はいずれ親の目の届かないところへ巣立っていく存在である、という遠い将来の行く末を見据えていたならば、今一緒にいられる生活をかけがえのないひと時とありがたく受け止められ、日々遭遇するさまざまな課題も「あせらず・あわてず・じっくりと」楽しみながら取り組んでいけるのではないでしょうか。