<非認知能力を幼児期・児童期に育てるには?>

子どもたちが将来青年・成人となり社会の中で然るべき位置について働いていくために、意欲や意志、社会性・協力性、自分の頭で考え発想・決定する力・創造性・オリジナリティなどの「非認知能力」が大切なことは分かりますが、幼少期からどのように子どもを見つめ、接し、はたらきかけていったら良いでしょうか?

いくつかの最近の関連の専門書にあたってみると、まずは皆さん口をそろえて、次のように述べられます。

「子どもが好きなことを思う存分させる」「夢中になること・没頭できるものを見つけ、トコトン熱中させること」が大切です、と。(『ずるい子育て』親野智可等(おやのちから)著・ダイヤモンド社2024)

また、教育方法論の専門家・中山芳一氏は、「内田伸子氏を中心としたお茶の水女子大学チームの研究(2014)に、20代の社会人の子どもを持つ保護者1000人以上を対象とした興味深い調査があります。我が子が幼児期の頃に「思いっきり遊ばせてきた」「遊びでは自発性を大切にしてきた」「好きなことに集中して取り組ませた」と回答した保護者の方が、子どもを(認知能力の高さが求められる)難関大学へ合格(偏差値68以上)させている率が明らかに高くなっているのです。」「社会情動的スキル(非認知能力のことです)は認知的スキル(認知能力)との間に相互作用的な関係がある」と述べています。(『学力テストで測れない非認知能力が子どもを伸ばす』東京書籍2018)

親の夢・希望・価値観を決して一方的に押しつけず、子どもの興味・自発性を尊重することも大切のようですね。

<「非認知能力(ひにんちのうりょく)」ってどんな能力?>

教育の仕事にたずさわっていると、昭和期や平成の前半期まではあまり聞かなかった「非認知能力の重要さ」「アクティブ・ラーニング」といった話題・問題を最近よく耳にするようになりました。これから、この「非認知能力」について、文部科学省や教育専門家の解説を読み解きながら、理解を深めていきたいと思います。

 

【非認知能力の定義】

非認知能力とは、「意欲、協調性、粘り強さ、忍耐力、計画性、自制心、創造性、コミュニケーション能力といった、測定できない個人の特性による能力のこと全般」で、「学力(認知能力)・教科のテストやIQテストで測られる能力」と対照的な意味で使われます。

 

【非認知能力が注目されるようになった理由・背景】

長期にわたり多数の人々の成育歴と成人後の職歴などを調査し、その研究発表により2000年にノーベル経済学賞を受賞したジェームス・ヘックマンの主張によると、乳幼児期に、愛情深く丁寧で豊富な教育・保育環境で育った人と、そうでない粗雑・粗悪な成育環境で成人した人の間には、生涯収入や社会的業績などにおいて明確な格差が見られた、とのことです。このことに世界中の教育・国家経済の関係者・専門家が注目した、ということです。

 

しかし、文部科学省で定義された説明を読んでも、抽象的で広汎な意義を含むため、具体的な教育・子育てにどう生かせばいいか、つかみにくい印象を持ちますよね。

そこで、さらに教育実践をふまえて教育・保育の論理の構築をめざしている専門家・汐見稔幸さんや大豆生田啓友さん、無藤隆さんらの解説を読んで、私なりに整理し平易にかみ砕いて述べてみましょう。

 

「定義」の8項目をじっくり考えてみると、4つほどにまとめられる気がします。

  • 意欲(自分の興味・関心を持ったことに継続的に熱く集中・探求・思索する気持ち・姿勢)
  • 協調性・コミュニケーション能力(良好な・協力的な・深い人間関係を築く能力)
  • 粘り強さ・忍耐力・計画性・自制心(自分が抱いた夢・目標の実現のため、自分ができそうな計画を立て、他に目をそらさず、粘り強く取り組む力・姿勢)
  • 創造性(他の模倣ではなく、あくまで自分の目標・夢を、他人の評価を気にせずつらぬく)

 

特に幼児期に大切なことは、本ブログ連載の当初のころにも縷々述べていますが、幼児が自分で見つけた夢中になれることを、周囲が温かく見守り、「見て見て!こんなのできたよ!」などの自慢話を、「そうかね、よくがんばったね」と認めてほめてあげる(良好な対話)周囲の大人がいること、子どもにとって「遊び」は「学び」、と理解してあげることです。

(出典:ネット「非認知能力とは?文部科学省での位置づけについて」)

 

<「図鑑、虫取り網、楽器」は脳を育てる3種の神器>

脳医学者・瀧靖之(たきやすゆき)氏は、幼少期に自然体験をたっぷりさせることで、知的好奇心を伸ばし、知力・学力・思考力を伸ばしていく素地となる、と主張されます。

「私はよく、子どもの脳をすこやかに育てるためにおすすめのものとして「図鑑、虫取り網、楽器」の3つが最強と話します。

知識の象徴が図鑑、自然体験のアイコンが虫取り網、そして美しいものに触れるための楽器です。虫取り網の代わりに天体望遠鏡にしてもいいし、楽器を絵筆に替えてもいい。図鑑は本で興味の種まきをし、実際の自然体験や芸術文化体験で好奇心を自由に羽ばたかせる。知識と体験をつなげていくことが、知的好奇心をぐんぐん伸ばすポイントです。」(『プレジデントFamily』2024夏号・P36~37)

小学校の理科教材で、「てこの原理」というのを、5~6年生で習うようですが、実際に野原で、棒で大きな石をてこで動かそうとした経験のない人は、てこそのものを身近に感じ原理を体感で納得することはないのではないでしょうか。

ここまで書いて、私自身は小学生高学年の頃に、少年少女向けの図鑑(『学習百科大事典・第16巻・機械とそのはたらき』を読みふけっていて、そのころ興味関心を持っていた蒸気機関車のピストン運動のしくみを見つけて、「へえ~~~~!!?? すげえ~~~~!!! よくこんなメカニズムを思いつくものだなあ~~~!!」と驚き・感心したことを思い出しました。(下の図) 石炭で湯を沸かし勢いよく出る蒸気は一方通行なのに、それを利用し円滑なピストン運動にみごとに変換するしくみに、驚嘆したのでした。その後興味が高じて、空き缶で「ミニSL」を作ろうとしましたが、みごとに失敗・挫折したのでした。

<自然と遊ぶ>

前回に続いて、自然との具体的なふれ合い方・例を述べてみましょう。

①お子さんと、近くの野山へ行ってみましょう。近くの公園・野原・低山・川・滝・海など、どんなところでもいいですから、好きなところ・行ってみたいところをゆっくりと味わいながら散策する、というのが一番いいでしょう。岐阜市には、金華山などをはじめとして、身近に登りやすい低山がたくさんあります。私がこれまで行った近場でのお薦めコースを数例挙げます。

  • 椿洞・畜産センター・ハイキングコース
  • 三輪・ファミリーパーク・ハイキングコース
  • 本巣・文殊(もんじゅ)の森・ハイキングコース
  • 伊自良・釜ヶ谷(かまがたに)
  • ながら川ふれあいの森・百々ヶ峰ハイキングコース
  • 黒野・御望山  など。

山の楽しみはまず、森・林の名の通り、「森林浴」ですね。ストレス解消・メンタルヘルス・睡眠改善など、医学的立証の報告もあるそうです。そして、平地では見られない動植物を見かけたりします。私は、本巣の山で、鹿の親子や、猿・狐などを見かけました。鳥の鳴き声も、平地では聞けないものも聞けます。でも、熊には大いに気をつけましょう。空き缶をガラガラ鳴らしながら歩いたり、大勢でわいわいしゃべりながら歩いて、人間がいることを向こうに知らせながら歩くことも効果があるそうです。

②小川を覗くと、魚・さわがに・かたつむりを見つけることもあります。浅瀬の沢に転がっている小石をどけると、さわがにがその下に潜んでいたりします。

③お弁当を持って行くと楽しみも増えますし、焚火が許されるところで、簡単な野外料理をするのも楽しいですね。基本的なマナーとして、火の扱いに十分気をつけること、後片付けをしっかりして、来たときのようにきれいにし、ごみはすべて持ち帰ることが大切ですね。

④ 山の花は、採取は禁止ですが、草の茎をとってお子さんと草相撲をしたり、落ちている小枝と輪ゴムで手製のパチンコをつくって遊んだりするのも一興ですよ。

<自然の教育>

少し古い話ですが、昭和30年代~40年代のいわゆる日本の高度経済成長時代は、次々と新しい電化製品などが製造され流通し、ほとんど数年ごとに新たな「三種の神器」が出現していった時代でした。私たちの生活の中で、便利なものがどんどん生みだされる(たとえば「そろばん」から電卓へ、郵便物からメール送信へ)一方、日本の伝統的な生活文化(例えば風呂敷)・食文化が見捨てられていった時代で、大都会の「コンクリートジャングル」の中での孤独感などという新たな社会課題が出現し、そして平成・令和と続くと、「携帯電話」「IT」「AI」「ChatGPT」などと変遷し、今なおとどまることを知らないめまぐるしい動きです。

しかし、世界有数のノーベル賞級の科学者たちは、口をそろえて自身の幼少期の、野山などの大自然を駆け回り、探索・観察・冒険・挑戦して存分に楽しむことに耽溺(たんでき)した経験をお話しされ、2000年にノーベル化学賞を受賞した白川英樹さんは、教育のためには、「野原とか転げ回って自然を体感するということが一番大切なこと。本物を見せることが大切です。中学で葉っぱを採ってきて写生する授業があった。写真を撮れば終わりかも知れないけれど、裏返ししたり、見方を変えたりしながら全体をまず把握し、描くときは先入観を捨てて無心に描く。僕は化学技術の立場ですが、芸術の世界も同じですね。」と言われています。(岐阜新聞2000年10月27日)

私もここまで書いて、昭和の終わりごろに登山愛好家が、「山での天気を予想するには、自分の腕で空気(湿気)を感ずることが第一だよ。」と言われて「なるほどなあ。」と感動したのを思い出しました。生の大自然に直に触れて、十分に感覚を磨きたいものですね。