ラインのリスク

~SNSの「知り合い」と本当の「友人」の区別ができなくなる・SNSの中の人間関係が実際の人間関係を超えてしまう~

 

LINEは、今ある人間関係からスタートし、広がっていきます。暮らしに近いSNSであるからこそ、「気にしないわけにはいかない」という思いが心の奥に広がってくるものです。心配で「深夜までスマホを見つめている自分」に変わってしまう可能性もあります。

人間関係を学んでいる途上の青少年にとって、心配なことは、SNSの中の人間関係が、実際の人間関係を越えてしまうことです。SNSで「友だちの紹介で知り合った」だけの人と、教室の中で悩みを相談できる「友人」とが、区別できなくなる事例が多くみられるようになってきました。以前に起きた少女の殺人事件では、被害者と実際に「知り合いだった」のは、たった一人でした。SNSの「知り合い」と本当の「友人」の区別ができなくなっている一つの例かもしれません。

SNSの中で、悩んでしまったとき、どうすればよいのでしょう? これは、とても難しい問題です。この悩みを乗り越えた高校生は、こう語ってくれました。「悩んだらね、一度、全部、やめてみて! 勇気をもって! きっと、それ(SNS)がなくても、一緒になれる子がいることに、あなた、気づくから!」

SNSで変わる前の「自分に戻ること」それが大切なのかもしれません。

(上水流信秀氏筆・岐阜新聞2015年5月12日「考えよう!みんなのケータイ・スマホ」記事を要約しました)

「いやだ!」「やめて!」と言えない純粋無垢な幼少期の子どもは、ライン上だけで知り合った人物に対し、自分で勝手に想像してつくりあげた人物像に飲み込まれてしまう、ということが起こりがちなんですね。

ネット問題・その1

<自分や家族の写真・動画・個人情報をネット上にアップしたものがねらわれ、いじめに利用されたりする。>

私個人としては、自分や家族の写真データなどをネット上にアップしたいとはつゆ思いませんが、一般的にはそういうことをやってみたいと思う人々は多くいるのでしょう。自分の中に何か面白いこと・役立つこと・主張したいことなどを持っている人が、一人でも多くの人々に知ってもらいたいと要望する気持ちは分かりますが、やはり社会に情報発信したからには、善かれ悪しかれその記事・内容、そしてその理解のされ方に責任を持たなければならない、というのが情報発信のルール・マナーでしょう。ただ単に浅薄な好奇心や思いつき・鬱憤(うっぷん)晴らしだけで発信したりせず、冷静に何度も「この情報は発信してもいいか?」「誰かを傷つけることはないか?」「市井(しせい)の店舗などに迷惑をかけることはないか?」と十分吟味し、さらに慎重に、信頼できる自分の知人・友人にも一度見てもらった後、自分の責任の上で決断する、という一人前の市民の自覚・姿勢・心得をまずはしっかりと養うことが必要でしょう。

単なる好奇心や悪ふざけでネット上に映像をアップして、社会的に多大の迷惑をかけ訴訟ごとになり、マスコミで報道され糾弾される事件がしばしばあります。そうした事件を知るたびに私たちは、その事件の何が根本的に問題だったのか?自分なりに真剣に考え今後のネット活用に生かしていく必要がありますね。

また、個人情報をいったんネット上にアップすると、瞬時に世界中に出回ってしまい永久に消せないということの自覚、他人に知られて悪用されるかもしれない情報・弱みにつけ込まれるかもしれない後ろめたい情報は、はなから発信しない!と固く決意すること、自分の身に覚えのない請求や脅しなどには常識・良識に照らし合わせて決して応答しない・屈しないとの強い決意も必要ですね。

<ネット上のトラブル>

年々増加しまた進化するネット上のトラブル・詐欺事件には、なかなかついて行けないというのが、一般市民の実感ではないでしょうか? これは、さまざま起こるネット事件の根っこは、裏組織がはたらいているからです。個人的な犯罪ではなく、大きな闇組織が動いているため、ブレイン軍団の考え出す悪知恵の質もどんどん高度・多様化し次々に新手の手口が出てきます。取り締まる警察と賊とのいたちごっこも、終わる兆し・望みはありません。

子どもたちや善良な市民を守るため、専門的に啓発活動をする部局もありいろいろな啓発パンフレットも出ていますし、小中学校でも保護者向けに関連の講演会・研修会がしばしば開催されています。

現在子どもたちの日常生活の中でのネット問題を整理してみますと、基本的な問題は、以下の4つほどになるようです。

①自分や家族の写真・動画をネット上にアップしたものがねらわれ、いじめに利用されたりする。

②ライン・メール上のことばのやりとりに、十分な配慮に欠けていることから、真意・本意が伝わらず、誤解・反感が広がってしまう。

③ライン上で知り合った人と実際に会ったが、写真の人と違っていて、被害に遭う。

④「闇バイト」や偽(にせ)ホームページを通じ申し込みをしてしまい、悪の道に入り込んでしまったり、入金したのに注文した品物が来ない。

次回より、それぞれについて、はまり込まないような心得・対策などを考えてみましょう。

悩みごとを相談するネットの向こう側には、こんな人かも!?と疑ってみることも大事(上水流信秀(かみずるのぶひで)筆・「考えよう!みんなのケータイ・スマホ」岐阜新聞2017年12月12日)

 

<IT機器のメリット・デメリット>

どんなに便利で最新の道具・機器でも、それそれメリット・デメリットがあるように、最新のパソコン・スマホ・タブレット・ゲーム機も、完璧・完全ということはなく、いつかは故障・老朽化して修理もできず廃棄せざるを得なくなる、などの何らかの不便さ・使いにくさを抱えているので、それらを我慢・妥協したり、順応することで克服しながら皆さんは使っているわけです。まずは、ネット機材のメリットから確認していきましょう。

①調べもの・情報獲得の素早さ

普段の生活上や業務上でわからないこと・調べたいこと・疑問に思ったことは、ネット上で常識的・一般的な答えならば容易に獲得できるようになりました。国際政治経済・歴史といったマクロ・グローバルな問題から、科学・外国語・文化・芸術・芸能そして日常生活上のさまざまな問題に至るまで、あらゆる分野の問題・疑問に何らかの答えが瞬時に掲示されます。ネットのない時代ならば、関連の本を買ったり図書館で調べたり本を借りたり、また専門家を訪ねて行って質問したりしていたわけです。あまりに容易なため、本当にその情報が真実か?自分の頭の中でじっくりと温めながら吟味する、という余地を現代人は忘れがちなくらいです。あまりに便利なため、これに頼り切ってしまい、自分で確かめる手応え・喜びを忘れそうです。このことの半面・デメリットに関しては、また後日考察したいと思います。

②通信

これまで手紙を郵送したりFAXで送受信していた文書・写真・図などのやりとりを、メール・ラインなどで、安価で・容易に・瞬時に送信できるようになりました。

③他者とつながる

チャットなどのライン上の自由なサイトで、ある関心事・テーマのもと、いくらでも他の人とつながって交流できるようになりました。あまりに広範で容易なため、「出会い系サイト」など危険なツール・方策も通用されています。

④商品の売買

何でも必要なものは、店舗まで足を運ばなくても、ネット上で注文・購入できますし、メルカリなど、個人で不要なものを売ったりできます。

⑤ネット会議

オンライン会議とも言います。コロナ期で対面の会合が控えられたため、事務所・事業所を中心にこの装置がずいぶん広がりました。

 

ITやネットの機能としては他にもたくさんあるのでしょうが、この方面の知識は私は平均以下でしょう。急がずあわてずじっくりと、をモットーに使用の幅を広げていきたいと思っています。

デメリットに関しては、次回以降にいろいろと考えていきたいと思います。

<デジタル機器の発達・普及について>

近年、パソコン・スマホ・i-padなどのタブレットなど、IT機器が急速に普及し現在もなお日進月歩で進化しており、小・中学校でも生徒一人一台タブレットを貸し出してもらって、子どもたちは授業に・ゲームに・プログラミングに・オンライン授業にと、幅広くのびのびと使わせてもらえる時代になり、メリットは計り知れないと思えるようです。コロナ期でのオンライン授業など、風邪やコロナ発症での欠席にも、先生の補習業務を省力化するなど、良いこともたくさんあります。

また、スマホでもちょっと疑問に思ったこと・調べたいことは何でも瞬時に専門的な知識・情報は得られますし、面白いゲーム・好きな音楽のダウンロード・外国語の翻訳・インスタグラムやツイッターなどの情報発信・ラインでのデータ送受信・ネット通販・振り込みなどなど、挙げだしたらきりがないほど使用機能は拡大しつつあります。

けれども前回も述べましたように、便利なツールである反面、ネット詐欺・ゲーム中毒・視力への悪影響・現実乖離・体力低下など、新しいツールに依存しすぎた上でのデメリットも、近年多く指摘されています。

数十年前に遡(さかのぼ)るだけでも、自家用車がなくてどこへ行くにも歩くか自転車、公共バス・電車だけだった時代があり、当時は毎日数十キロ歩いて仕事をしていた人々が多くいたり、「ワープロ」「パソコン」で文章を作成することで、自分で漢字を思い出すことがしづらくなったことを実感したり、車を運転するときナビゲーターに頼ることで交通経路を覚えたり地図を読み取る能力が低下したりする、ということを鑑(かんが)みると、デジタル機器に限らず、便利な近代・現代機器に頼ることで人間はどんどん従来の能力を低下させていることに気づかされます。

子どもの教育も、そうした現代社会の劇的な変化のまっただ中にあり、良きにつけ悪しきにつけ大いに影響を受けている、ということをまずはしっかりと自覚する必要があると思います。そうすると、こうしたIT機器に飲み込まれてしまう・使われてしまう、という悪循環に陥らずに、逆に人間が主体性・自立性を失わずに主体的にIT機器を使いこなす姿勢を保ち続けることでしょう。

次回から、そのための心得・知識を一つずつじっくりと探っていきたいと思います。