乳幼児への信頼 ~乳幼児は、大人が考える以上に鋭く周囲を観察している~

私たち保育者・保護者は、無力に見える乳幼児に対して、保護・養育・世話していく責任感を感じながら日々彼らに接していますが、注意深く乳幼児を観察したり研究すると、乳幼児たちは「じつは極めて細かく現実の世界を観察していることがわかってきます。」(榊原洋一氏筆)(『はじめて出会う育児の百科』汐見稔幸・榊原洋一・中川信子共著・2003年・小学館・p548) 2歳後半~3歳の頃は、「自己主張が盛んになって来るころですが、実際の生活はまだ親に完全に依存しています。食事、排泄、衣服の着替えといった日常生活はすべて親がかりの状態です。自分で何でもやりたいけれど、まだ自分だけでは何もできない。そのギャップは子どもにとっても、またそうした子どもの世話をする親にとってもストレスの多いものです。」(同書p602) しかし、ここでむやみに焦ったりしないで、できるだけおおらかに構え、子どもの失敗を認め許し、何度もやり直しを楽しみもしながら歩んでいきたいものです。「親にくっついて行動していた幼児も、歩行が安定するにつれ、親を離れて行動することが多くなってきます。親が自分の視界内にいれば、自分から興味のあるものや場所、あるいは他人に向かって、親から離れて歩いていくようになります。でも親が自分のことをどこかでちゃんと見守っているという安心感があるから、こうしたことができるのです。」(同書p578)

穏やかな愛情と心のゆとりをもって懐(ふところ)広く見守り支えていきたいものですね.

《子どもを信頼・尊重すること》 「子どもの少し後ろからついていく保育」

未来を担う子どもたちには、元気・やる気・意欲いっぱいの子になってほしいと多くの大人・保護者・保育者が願うものと思います。それには、子どもたちの自主性・自発性・自己肯定感を育むことが大切だと思われますが、そのためにはどうすればいいでしょうか?

幼児教育学の第一人者・汐見稔幸(しおみとしゆき)氏は、「少し後ろからついていく保育」というキーワードで分かりやすくアドヴァイスしてくださっています。「好奇心を引き出したり自主性を育てるのにもっとも大事なのは、子どもの先回りをしないで、子どもの好奇心の少し後ろからついていくことです。もっと具体的に言えば、子どもが「これ何だろう?」と思うときには、十分に探索の体験をさせてやるということです。お父さんやお母さんは危なくないようにサポートしてやり、子どもの必要や求めに応じて対応してやればよいのです。これは、一見簡単なことのようですが、実行するのはなかなかたいへんです。」「この時期の探索活動をおおらかにさせてもらった子は、のちになっても好奇心や自主性が豊かになるという調査もあります。探索はおとなの目からはある意味「いたずら」ですが、それを単なるいたずらではなく「探索行動」と見るまなざしのあたたかさと受容的・共感的態度が子どもを育てるのです。そして受容してもらっていると感じるから、子どもはやがて親の言うことを聞く子になれます。」(『心も身体もほんとうにかしこい子に育てる』主婦の友社・2004年)

私は、長男が幼少の頃、早朝に一緒に近所を散歩していましたが、そんなときにこの言葉に出会い、この視点を念頭に置きながら、子どもの「少し後からついていく」ように試みてみましたら、日々どんどん散歩コースが延長していき、ちょっと苦笑した経験もしましたが、子どもの好奇心も満足させられたと思っています。

年長者としてはもちろん、生活上の基本的なあいさつや社会ルールなど、親・保育者が意識的・積極的に教えなければいけないことも少なくなく、子育てのプロセスのすべてにこの「後ろからついていく」方針を貫くことは不可能ですし必要もないとは思いますが、日曜・祝日の遊びや、散歩など1日の一部分の決めた時間にこの方針・視点で子どもたちとつき合ってみるのも、新しい発見があって子育てに楽しみを見つけられるかもしれませんね。

ホッとできる先人のことば

「オランダの心理学・教育学者ヴァン・デン・ベルクは、ボウルビィの母性論の過度の強調が女性の社会進出を妨げていることを指摘・批判し、「子どもを育てることは、きわめて平凡で、日常的で、ありふれており、そしてしばしばむずかしいことである。」と考える。
人間の赤ちゃんに必要なものは(狼の文化・環境ではなく)人間の環境であり文化であり、なによりも平和なことである。(※)

彼は母親に次のように結論しアドヴァイスをする。
「子どもを育てるということは、母親にとって至極単純なことなのである。というのも、通常彼女はそれに必要な才能はすべてもっているからである。もし彼女の母親としての仕事に心理学の助けが必要なら、第一のアドバイスはつねに「当然だと思えることをおやりなさい」であるし、つぎに「それらのことを、ごく自然だと思えるふうの仕方でおやりなさい」ということである。」
(『岩波講座 子どもの発達と教育4 幼年期 発達段階と教育1』岩波書店1979・野村庄吾・岡本夏木著「第2章 ゼロ・一歳児の発達の特徴と保育」84頁)

学習塾や習い事・通信教育等の教育産業が大流行(おおはやり)の日本社会の中では、「うちの子も何かやらせなきゃ!」と焦る気持ちになるのもむりはないと思いますが、上の専門家のことばを聞くと、ホッとしますね。

(※過去に何かの理由で、乳幼児期に人間社会からはなれ、狼に育てられたインドやフランスの子の例があり、発見・保護されて人間社会に復帰し人間に教育されたが、結局人間らしく育たなかったという報告があります。『アヴェロンの野生児』)

ホッとできる先人のことば

子育ては、喜びもありますが、なかなか自分の思い通りに行かないことが多くて悩むことも多々ありますよね。そんなときに、読むと元気づけて慰めてくれる詩があります。

「子育てまっ最中のお母さんへ

子育ては一生懸命すぎても
楽しさが感じとれない
子育ては大変
大事業です
だけど肩の力を抜いて
楽しくやって欲しい
“これでいいのかな”って
わが子をみて不安になったり
心配になったりする時も
あるかもしれない
でも
そういう謙虚さも大切です
ちゃんと我が子を
みつめているわけだから
“大丈夫です”
今どん底に見えても
気付いてからスタートしても
大丈夫です
マイナスをいくらでも
プラスに変えられます
マイナスが多いほど
プラスが増えることもあります
子育て応援してます
大変なのわかっています
なかなか自分の時間がなくて
思うようにいかなくて
ストレスもたまって
時にはイライラしている自分に
落ち込んで
でも
子どもの笑顔・寝顔
可愛くて
抱きしめたくなりますよね
子どもは宝
どんなに親を
成長させてくれる事か
子どもとの日々の生活が尊いし
大切なのです
いつも温かく見守り
いつもあきらめる事なく
可能性を信じ
精一杯愛してあげてください
その子なりのお花を
精一杯咲かせればいいのです」
(『お母さん 子どもの心の声が聞こえますか』柴田よしゑ著・文芸社)

何度もふりかえり読み返したい詩ですよね。子の自ら伸びようとする力を信じて、子がいてくれるから子育てという貴重な事業に参加できるのだ、という感謝の気持ちも持てますよね。

ホッとできる先人のことば

本ブログの1回目に、大正から昭和初期にかけての日本の幼児教育をリードした倉橋 惣三(くらはし そうぞう)氏のことばを紹介しましたが、その理念・業績を受けついだ津守真(つもりまこと)氏(元お茶の水大学教授)の考えにも、保護者としてホッとできることばがあります。
「子どもが障害をもって生まれるのは稀(まれ)なことではない。そのときにも、日々子どもが望むことに応え、配慮をもって関わることの大切さに変わりはない。障害にだけ目をとめて心配しすぎないように、毎日を大切に育てよう。
最初の人間関係を通して、子どもは自分自身と人間と世界に対する信頼を学ぶ。成長の途上には自らの存在をおびやかされる機会は多くあるが、周囲に対して不信感をもって人生を出発させるのか、世界は基本的に信頼し得るものと確信して生きるのかによって、人生はまったくちがったものになる。
子どもとの信頼関係をつくることが、子育ての第一歩である。」
(『子どもの生活 遊びのせかい ~4歳までの成長と発達/親子でたのしく暮らす工夫~』津守真著・婦人之友社1996 P7)
子どもとは、「全面的に大人に依存する存在」です。子どもの要求に誠実に耳を傾け、子どもができることは自分でやらせ、できないことはゆったりと手をさしのべる、そんな毎日の生活が信頼を育んでいくものと思います。