子どものユーモア

本欄でここ数回、子どものユーモラスなことばについてとりあげてきましたが、ある日に園で子どもの成長をあらためて実感した一つのエピソードをご紹介します。当園はしたが風邪ぎみだったので職員室でお母さんのお迎えを待っている年少児Aちゃんに一職員がたずねました。「この間亡くなったAちゃんの大きいおばあちゃんってどこに住んでいるの?」(この職員は大きいおばあちゃんがAちゃんと同じ家に住んでいたかどうかを聞こうとしたのです。) すると、Aちゃんは「おばあちゃんは天国に行ったの。」と言いました。
ユーモラスな感じを理解していただけるでしょうか? この職員は「大きいおばあちゃんはどこに住んでいたの?」と聞くべきだったのでしょうが、先生の質問に一生懸命に正確に答えようとする子どもらしい真面目さ・ひたむきさがかもし出すユーモラスさに、近くで一緒に聞いていた主任と私(園長)は思わず吹き出してしまいました。
子どもたちとの生活では、お互いの知識・経験・感性等の違いから、こうした会話上のユーモラスなちぐはぐさに笑えてしまうことってたくさんありますよね。こういうときは、子どもと一緒のレベルで批判したり「上から目線」で「指導」したりせず、大人のより高く広い視点からおおらかにほほえましく受けとめてあげたいものです。

2014年5月11日から毎週日曜日に、岐阜新聞で「笑いによる健康のすすめ」をテーマに連載記事がありました。「日本笑いヨガ協会」というものがあり(ネットで検索できます)、その代表の高田佳子さんが書かれたもので、いくつもの新鮮な提言を読ませてもらえます。「笑いは自律神経を整え、免疫力を高め、血糖値や血圧を下げたり、ストレスホルモンもおさえる効果がある。内臓の筋肉をマッサージし活性化し快眠・快便・快食につながる。」「嬉しくなくても、飛行機のように両手を広げて「ハハハハ・・・!」とバカになって笑う動作をしてみる「笑い体操」」、「びっくりしたり、失敗して落ち込んでも笑ったり、怒りの感情がこみ上げてきても笑って放出してしまおう!」など、常識をポーンと越えてしまう提言がたくさんあります。
そのまま全部実行することは無理かな…?とも思えますが、失敗した時も少し視点を変えて、「喜怒哀楽・悲喜こもごもあるのが人生かな。」と大らかに心を持ち直してみると、笑ってショックな気持ちも放出してしまい、またやり直してみようと思い直すこともできそうな気がしてきます。
常識外れのユーモアの天才は実は子どもたちです。大人の側が大いに子どもたちの並外れたユーモアに癒やされたり元気づけられたりという日々の生活があると良いですね。

家庭にユーモアと笑いを

まず下の二つの詩をお読み下さい。

 

「若い?」 S・N

私が

お母さんのあとをおっていると、

髪の毛の色がハデだから、

うしろから見ると、

少しだけ若く見えました。

でも前から見ると、

どこにでもいるような

おばさんでした。

 

「こたつの犯人」 M・M

今日のお母さんが

こたつのスイッチを見て、

「こたつ、つけっぱなしだれ?」

とおこっていた。

弟とぼくはどっちも

「ちがう!」と言った。

その時パパが、

「あ~、オレオレ。」と言った。

いきなりお母さんは、

「あっ、ほんとー。」

とやさしくなってスイッチを消した。

どうしてパパにはやさしいの?

 

これは、前回の本欄でも取り上げました増田修治氏(元小学校教諭で現在白梅学園大学准教授)が、クラスで子どもたちに詩を書かせて、皆で評論する授業の中で出てきたとてもユーモラスな多くの詩の中の二編だそうです。(『子どもの自尊心と家族・親と子のゆっくりライフ』汐見稔幸著・金子書房2009) こんな詩がどんどん出てきて皆で味わい楽しみ合うためには、クラス内でかなり上質の信頼関係が築かれていることが必要なのだろうと思われますが、家族内でも目標としたい話しですね。

子どものユーモア

まずは、次の子どもの詩をお読みください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これは、岐阜新聞に連載されていた子どもの詩の一つです。(2015年6月16日) ここには、たっぷりのユーモアとお兄ちゃんの弟への思いやりが表現されていて、私は読んで思わずうなってしまいました。こんな子どもたちに育って欲しいと親が願う理想の心持ちだと思いました。じっくりと子どもたちと読んでみたいものです。子どものことばは、まだまだちゃんとした日本語になる前の段階のものも多く勘違いや・聞き間違いもありますが、大人がまったく思いもつかない柔軟・斬新な発想から出ることばも多く、大人が常識に安住していることを見直すきっかけとして感心しながら学ぶことができるものもよくあります。大人の先入観・偏見を見直すきっかけにできるといいですね。

ワザあり! 「イヤイヤ」受け止め術

乳幼児期には、成長するにつれ「イヤイヤ!」とだだをこねる場面が日常生活の中でも次第に増えてきます。これはまさに子どもが成長しつつある証(あか)しなのですが、子育てに忙しい親にとってはなかなか余裕を持って受け止めることが難しいものです。幼児教育研究者・浅野ななみ先生は、この点に関して3ヶ条を提唱(ていしょう)されています。
①何はともあれ、まず共感
親も子どもも理解を超えたイヤイヤにも「イヤだったね」「痛かったね」 と共感して、こどもの中で「もつれた糸をほぐし」ましょう。
②言い換え上手は、のせ上手
共感の後、失敗・苦悩の理由を確認し、すかさず「あっちで〇〇〇しようか!」と好きな遊びに誘うと、気分転換に成功することができます。
③ダメなものはダメと言う
なるべくダメと言わなくて済む環境・雰囲気をつくる試みとともに、危険なこと・人に迷惑をかけることは、理由をそえてピシッと止めてメリハリをつけましょう。
(Benesseこどもちゃれんじぷち通信2015年9月号 )
懐広く鷹揚(おうよう)に受けとめ、受容(じゅよう)・賞賛・肯定的な声かけと、注意・否定的な声かけのバランスを適切に取るということのようですね。

逆説の子育て

逆説の子育て いたずら、楽しい実験(岐阜新聞2014年8月8日)

「子どものいたずらはたいがい、「これをこうしてみたらどうなるんだろう?」という実験です。それだけ好奇心があり、実行力があるということ。物を分解してしまうのなんて、そのいい例です。」「やたらと汚すのは化学の実験です。」「高いところから飛び降りたりするのは、自分の身体能力を試す実験。どれくらいの高さなら大丈夫かという相場感をもっている子は、突然とんでもない高さから飛び降りて骨折するようなへまはしません。」「そういう実体験の中から、危険を察知する「肌感覚」や「生きる力」が培われるのではないでしょうか。社会生活を営む上では、人に迷惑をかけるようないたずらは慎まなければいけないことを教えなければいけませんが、大目に見てやれる部分は極力大目に見てあげるほうが、子どものためになります。」(教育ジャーナリスト・おおたとしまさ氏)(岐阜新聞2014年8月8日記事)

子どもたちがそれぞれ自分の好きなこと・ものを見つけ、好きなだけ没頭し、個性豊かに知識・能力をのばし、生涯の礎(いしずえ)や糧(かて)としていけるよう願いたいものですね。