子どもや私たちの健康やからだ育ての話を続けてきました。今後は、こころ育ての話をしていきたいと思います。
詳細・具体的な話題を出す前に、教育の三本柱(➀からだ育て➁こころ育て➂ことば育て)の関連の深さを顧(かえり)みておきたいと思います。この3つは、それぞれ別ものではなく、互いに密接に関係しているものです。一つの具体例として、「交通安全の規則を守る」という道徳を身につけられるか?というこころ育ての問題を考えても、道路や駐車場にはどんな乗り物があってどんな危険があるか?ということを正しく知らなければ、安全のためにどんなことを心がけなければならないか?ということを理解できませんし守ろうという気持ちも起きませんよね。これが、知識・理解力が、善への意欲・悪の回避という道徳性を導く、という例です。逆に、愛され・大切にされて幸せ感を感じていればこそ(こころ育て)、生活上で湧き上がるさまざまな疑問をやりすごしてしまわないで、大人・教師に「何で?」「どうして?」「○○って何?」という知的な質問をぶつける意志・意欲が育つ、というのが幼児期・児童期の特徴です。これが、自然な感性を尊重されていると、知的な好奇心が育ってくる、という「道徳性が知性を導く」という例です。また、「健全なる精神は健全なる身体に宿る」「衣食足って礼節を知る」などのことわざの通り、健康や適切な生活状況という基礎の上に知的探究心・芸術性・道徳性などの高位の精神活動が展開される、ということも広く認められていることだと思います。
三本柱は「鶏が先か?卵が先か?」の永遠の問いと同じで、どれが一番大事、と決められるものではなく、循環的に関係・因果しているものだとも思います。