コロナ禍で1年延期されて「無観客」で開催された東京オリンピックとは打って変わって、大観衆を受け入れての従来の形のオリンピックがパリで開催されました。夜中過ぎにテレビ中継・メダルラッシュに夢中になり、寝不足になった方も多かったことでしょう。
私はいつも、メダリスト他の競技後のインタビューのことばに注目しています。理由は、栄冠を勝ち取った選手も頂点にたどり着かなかった選手も、ほとんどが、前回・前々回のオリンピックやその後のさまざまな人生上の辛い経験・失敗から何度も必死に這い上がって努力を積み重ね、すべてをやりつくした後の、身の回りの多くの方々へのすがすがしい感謝の想いが飾りなく噴き出していて、私自身励まされるからです。
いくつかをご紹介しましょう。
女子陸上やり投げ・金メダリスト・北口榛花(はるか)選手
「何が味方で何が敵なのか、わからなくて悩んだ時期があった。この場(オリンピック競技場)に立てることが無理か、と思うほど辛いこともあった。」
女子レスリング53キロ級・金メダリスト・藤波朱里選手
「みんなで勝ち取った金メダルだと思います。」
男子レスリングフリースタイル57キロ級・金メダリスト・樋口黎選手
「自分を信じ支えてくれたコーチ・仲間・家族・親族他のおかげです。」
男子陸上やり投げ・予選敗退・ディ―ン元気選手
インタヴュアーから「この雰囲気、どうですか?」と訊かれて、
「最高ですね!!!」(^‗^)
「スポーツマンシップのあらわれ」
1932年ロサンゼルスオリンピックで、400ⅿハードルのバーレー選手(イギリス)は、開会式の翌日に予選が控えていたので、開会式は休むつもりでした。しかし、彼のライバル・テーラー選手(アメリカ)が開会式に出席すると聞き、同じ条件で試合をしなければ、フェアプレーでないと考え、開会式に出席すると決めました。試合の結果はテーラー選手3位、バーレー選手4位でしたが、握手をしたバーレー選手の顔は、明るく輝いていたそうです。それは、勝ち負けだけが競技のすべてではない、ということを確信したからでした。(『少年少女学習百科大事典19・国語体育家庭』1968・学研・P153のコラム要約)
現今のプロスポーツ選手も参加できるオリンピックと違って、アマチュアリズムであった時代、上の文章を少年期に読み、オリンピックが大好きになりましたが、今のオリンピックでは、メダリストには多額の報奨金が授与されたり、コマーシャリズム(商業主義)や勝利主義が加熱化するあまり、ドーピング問題も頻発し、スポーツのさわやかさが崩れる面も出てきています。
自国の期待を一身に担って選手が参加するので、獲得するメダル数に関心が集中しがちですが、同じ競技に参加することにより国と国が新たな親交・友情をより深めることの方が、私には意義深く思えます。