こころの教育

「がまん」ってどういうもの? 大事なもの?

「「がまん」は一般的に、人から押しつけられた意見をしぶしぶ受け入れるような、受け身の姿勢に使われることが多いですが、子どもの発達という視点からは、子どもが自分で考えて自発的に選びとる「がまん」が大事になります。例えば、大好きなブランコの前に行列ができていたとき「順番を待てば乗れる」と考えて列に並ぶなど、目的のために自分で考えてがまんできる力が「真のがまん」です。(森口佑介氏)
今保育の現場では「非認知能力(ひにんちのうりよく)」が注目されています。「非認知能力」とは、意欲・自尊心・コミュニケーション力など、学力のように測ることができないが「人間として生きていく力」の基礎となるものです。その力のひとつに、自分の気持ちを自己抑制(セルフコントロール)する力があります。これが「がまんする力」と関係していて、大事だと考えられているのです。(大豆生田(おおまめうだ)啓友(ひろとも)氏)
1~2歳代は、がまんを教えるにはまだ早い年齢で、むしろ子どもが安心できる家庭環境をつくることが大切です。(森口佑介氏) 3歳以降に「自己主張」が芽生えてきたら、保護者がいろいろな工夫をしながら、丁寧に子どもと関わっていくことが大事です。そんな時に子どもは「自分がとても大事にされている」と感じるのです。(大豆生田啓友氏)」
(NHK「すくすく子育て」2018/08/18放送)

あせらず、子どもを信頼しながらできるだけ丁寧に相手してあげるとよいのですね。

こころの教育

「自分でやる!」にどこまで付き合う?

乳幼児期に自我が芽生え始め好奇心が育ってくると、「何で?」「何で?」と質問攻めにしたり、親のやることを何でもまねしたりちょっかいを出したり、ということをいたずらっぽく楽しむようになりますね。まだできないことでも「自分でやる!」が出始めるときでもあります。でもまだまだ十分に能力が育っておらず失敗を繰り返して大騒ぎ、ということも日常茶飯事ですよね。「KANSAIこども研究所」の原坂(はらさか)一郎先生のアドヴァイスに耳を傾けてみましょう。
<ストレス知らず!基本の4つのステップ>
①「する」と言えばまずは見守る
②できなければ笑顔で手伝う
③仕上げはこどもに任せる
④自分でできたらしっかりほめる
(Benesse『こどもちゃれんじぷち通信』2015年12月号)
子どものできることは急かさずあせらずゆっくり見守りながら、手伝いながらやらせ、失敗も繰り返しながら(「七転び八起き」)、やれたことはしっかりほめる、ということが肝心なんですね。

こころを育む保育

<子どもの少し後ろからついていく保育>
未来を担う子どもたちには、意欲・やる気・元気いっぱいの子になってほしいとだれもが願うものと思います。それには、子どもたちの自主性・自発性を育むことが大切だと思われますが、そのためにはどうすればいいでしょうか?
幼児教育学の第一人者・汐見稔幸(しおみとしゆき)氏は、「少し後ろからついていく保育」というキーワードで分かりやすく述べておられます。「好奇心を引き出したり自主性を育てるのにもっとも大事なのは、子どもの先回りをしないで、子どもの好奇心の少し後ろからついていくことです。もっと具体的に言えば、子どもが「これ何だろう?」と思ったときには、十分に探索の体験をさせてやるということです。お父さんやお母さんは危なくないようにサポートしてやり、子どもの必要や求めに応じて対応してやればよいのです。これは、一見簡単なことのようですが、実行するのはなかなかたいへんです。」「この時期の探索活動をおおらかにさせてもらった子は、のちになっても好奇心や自主性が豊かになるという調査もあります。探索はおとなの目からは「いたずら」ですが、それをいたずらではなく「探索行動」と見るまなざしのあたたかさと受容的・共感的態度が子どもを育てるのです。そして受容してもらっていると感じるから、子どもはやがて親の言うことを聞く子になれます。」(『心も身体もほんとうにかしこい子に育てる』主婦の友社・2004年)
もちろん生活上の基本的なあいさつや社会ルールなど、親・保育者が意識的に教えなければいけないことも少なくなく、子育てのプロセスのすべてにこの方針を貫くことは不可能だとは思いますが、日曜・祝日や、1日の一部のある時間内にこの方針で子どもたちとつき合ってみるのも一興ですし、「この子はこんなことに興味があるのか~~。」などの新しい発見があるかもしれませんね。

こころ育て

過去の岐阜新聞の教育記事で「子どもたちの自尊感情(自信感)を育てる」という優れた文章がありました。(2012年8月13日NPO法人「フリースペースたまりば」理事長・西野博之氏筆)

「子どもたちの生活・活動には多くの失敗がつきものであり、安心して失敗できる環境をつくることが大切である。子どもは丸ごと受け止められているという安心感を持った途端に元気になる。」「不登校やひきこもりの青少年に対して、親がやっきになって何とか学校や社会に出させようとこだわっている間は動こうとしなかったが、親が「まあ生きてくれたらいいか。」とあきらめた途端、自分から動きだすことがよくある」そうです。「無事で生まれて!と願ったあの日の気持ちを思い出し、「あなたがいてくれるだけで嬉しいよ。」というシグナルを子どもたちに伝えて欲しい。」とのことでした。
子育ては決してこざかしい理屈(りくつ)ではなく優(すぐ)れて人間的なものなのですね。

こころ育て

子どもや私たちの健康やからだ育ての話を続けてきました。今後は、こころ育ての話をしていきたいと思います。
詳細・具体的な話題を出す前に、教育の三本柱(➀からだ育て➁こころ育て➂ことば育て)の関連の深さを顧(かえり)みておきたいと思います。この3つは、それぞれ別ものではなく、互いに密接に関係しているものです。一つの具体例として、「交通安全の規則を守る」という道徳を身につけられるか?というこころ育ての問題を考えても、道路や駐車場にはどんな乗り物があってどんな危険があるか?ということを正しく知らなければ、安全のためにどんなことを心がけなければならないか?ということを理解できませんし守ろうという気持ちも起きませんよね。これが、知識・理解力が、善への意欲・悪の回避という道徳性を導く、という例です。逆に、愛され・大切にされて幸せ感を感じていればこそ(こころ育て)、生活上で湧き上がるさまざまな疑問をやりすごしてしまわないで、大人・教師に「何で?」「どうして?」「○○って何?」という知的な質問をぶつける意志・意欲が育つ、というのが幼児期・児童期の特徴です。これが、自然な感性を尊重されていると、知的な好奇心が育ってくる、という「道徳性が知性を導く」という例です。また、「健全なる精神は健全なる身体に宿る」「衣食足って礼節を知る」などのことわざの通り、健康や適切な生活状況という基礎の上に知的探究心・芸術性・道徳性などの高位の精神活動が展開される、ということも広く認められていることだと思います。
三本柱は「鶏が先か?卵が先か?」の永遠の問いと同じで、どれが一番大事、と決められるものではなく、循環的に関係・因果しているものだとも思います。