子育て中のお父さんお母さんへ

【無財(むざい)の七施(しちせ)】

仏教には、人を幸せにする(施(ほどこ)し・布施行(ふせぎょう))とそのことが自分にとっての幸せとなる、という考えがあり、「無財の七施」という教説がよく話題になります。大きな財産を持たない者も、考え方・心の持ち方次第で、他者を真に喜ばせる七種類もの大切な奉仕活動がたやすくできる、と説くもので、現代の社会生活でも保育活動の中でも、まさに金品のやりとりにたよらない本質的な愛情の表現そのものと言ってもいい貴重な心得だと思います。
①身施(しんせ) 身体を動かして他者に尽くす(奉仕)活動で、バス・電車の中で必要な人に席を譲ったり、落とし物を知らせたり届けたり、などなど日常生活でも心がけ次第でたくさん見つけられると思います。
②心施(しんせ) 他者や他の存在に対する思いやりの心で、①や③以下の様々な施しの一番のおおもととなると思われます。
③眼施(げんせ) 優しいまなざしで、そこにいるすべての人の心が和(なご)やかになります。「眼は口ほどにものを言う。」という諺(ことわざ)もあります。
④和顔施(わげんせ) 柔(にゅう)和(わ)な笑顔を絶やさないことです。いつもニコニコしている人の周りには、温かい心と笑顔が広がっていきます。仏教語でこういう人を「一隅を照らす人」と表現しますし、ことわざで「笑う門には福来(きた)る。」とも言いますよね。
➄言施(ごんせ) 「思いやりのこもったあたたかい言葉をかけること」と聖典現代語訳本には記されて(解説されて)ありますが、私はそれ以上に、自分が嬉しく感じた体験の話しを家族・知人に聞かせたり、自分の意見を大いに前向きに語り合うことにより、話す側・聞く側双方の幸せ(感)を増すことと受け止めています。
⑥牀座施(しょうざせ) 自分の席をゆずることによって、お互いに温かい気持ちになったり、仲間意識を高めたりすることです。
④房舎施(ぼうしゃせ) わが家を一夜の宿に貸すこと。これは、ホテルも旅館もないお釈迦様の時代(2500年前)に、修行者や旅の商人たちの求めに快く応じて宿泊の場を提供することがあったようです。
(出典『雑宝蔵経』(『仏教聖典』仏教伝道協会編1975))
以上、7種の布施行をお釈迦様がすすめておられますが、②の真実の心(気持ち)の施しがあっての①身体の奉仕 ③目つき ④顔つき ➄優しいことば、などなので、これら7種は別々のものではなく密接に関わっていると思います。

子育て真っ最中のお父さん・お母さんへ

乳幼児の子育ての最も基礎的な心得は、人の自然な感情である子どもへの愛情である、と本ブログ第一回(前回)に書きました。こうした思いを、古今東西数多くの教育家たちが説き述べていますが、現代の子育て環境の中でたいへん有名になったベストセラー書『子どもが育つ魔法の言葉』(ドロシー・ロー・ノルト著・PHP研究所)には、とてもわかりやすい子育て上のアドヴァイスがあります。

「愛してあげれば、子どもは、人を愛することを学ぶ
認めてあげれば、子どもは、自分が好きになる
子どもに公平であれば、子どもは、正義感のある子どもに育つ
守ってあげれば、子どもは、強い子に育つ
和気藹々(あいあい)とした家庭で育てば、子どもは、この世はいいところだと思う
叱りつけてばかりいると、子どもは「自分は悪い子だ。」と思ってしまう
不安な気持ちで育てると、子どもも不安になる
子どもを馬鹿にすると、引っ込み思案な子になる etc 」

いかがでしょうか?
幼い子ほど、人間的な環境の人格・性格形成への影響力が大きい、ということがうかがえることばだと思います。
乳幼児期は、心豊かな人間形成のための大切な基礎づくりの時期です。愛情・思いやりたっぷりの環境の中で、お互いに思いやり助け合って生きる喜びをたくさん感じていけるよう、精いっぱい支援していきたいものですね。

<子育て真っ最中のお父さん・お母さんへ>

この度、ひかり幼稚園ではホームページをリニューアルし、その中の一コーナーに、この「園長ブログ」を設けました。ここでは、現在乳幼児・児童の子育て真っ最中のお父さんお母さんを主な対象とした子育てに役立つ情報・知見などを二週間に一度くらいのペースで、短くわかりやすい文章で順次掲載していきたいと思います。
園長である私自身、現在中三(男)と小一(女)の二人の子育て真っ最中の父親で、子育ての意義・楽しさ・醍醐味も日々味わっていますが、子どもの気持ちがわからなかったり親の意向が伝わらなかったりして悩むこともしょっちゅうあります。そんな悩みを若いお父さんお母さんと共有・共感しながら、より良い子育ての道をさぐっていけるコラムにできたらいいな、と願って始めました。なにとぞ、「手塩にかける」という慣用句に喩えられる末永い子育てと足跡を同じくしながら、「暮しの子育て手帖」としていただけるとありがたく思います。
私は、浄土真宗の住職兼幼稚園長の家庭に生まれ育ち、教育のことをしっかり勉強してみたいと思って、大学の教育学部(教育哲学コース)に進み、本格的・体系的な教育学を学ばせていただきましたが、大学ではやはり、教育の問題に関するさまざまな視点をもらさない学術的厳密性・体系性が最重要視されるので、主に公教育の歴史や教育制度・諸外国の教育制度の問題などがマクロな視点でとりあげられる講義がほとんどで、現代の日本社会で子どもを初めてさずかった若い家族・夫婦がどのように子育てしていったらいいか、というミクロな問題はほとんどテーマとしてとりあげられていませんでしたので、私自身の在学中も少なからず不満な気持ちをもちながらすごしていて、卒業後帰省してから、そういった家庭教育のいろいろな啓発書・専門書を読んだり、幼稚園業界でのさまざまな研修会などで学ばせてもらって、幼児教育に関する私なりの知見を構築していきました。まだまだ完成までには「道半ば」といったところですが、本欄を書きながら整理し完成していきたいと思っています。
乳幼児の保育・教育でもっとも基礎となるコンセプトは、やはり懐深い愛情でしょう。大正期~昭和初期の日本の幼児教育の先駆者・権威者である倉橋惣三(くらはしそうぞう)氏がこう書いています。
「温(おん)の一字、保育の意義を尽くすというも過言ではあるまい。
凝(こ)ったものを解き、閉じたものを開き、縮んだものを伸ばし、萎(しな)びたものを張り、一切の生命を進歩させる。
見よ、今、この普(あまね)き温の力を。万物、そこに笑い、ここに躍り、自らの力を楽しむ。
温は、下から湧き、上から漲(みなぎ)る、皆自然である。野に園(その)に溢(あふ)るる自然である。つくりもの、こしらえものの温は、その真の力を持たない。温室の温は、到底自然の温ではない。」(『育ての心(上)』倉橋惣三著・フレーベル館2008年)
「温」ということばは、子どもの人格を丸ごと受け入れ包む深い愛情の表現として最適だと思います。この愛情が基盤となって、明るい笑いで子どもの成長を包み支え、保育者・保護者と子どもとの穏やかで豊かな交流が、子どもたちの潜在能力をどんどん開花させていくのだ、と説いていると思います。